Story8 妻編「これでいい。だいじょうぶ。」

中国から戻り真っ先に向かったのは、療育センターという、障がいのある子どものための特別なケアや訓練をする場所だった。

母子入院と言って、親子で入院して、子どもが日常生活をより快適に過ごせるように、親が様々なケアを学んだり、子どもは身体を整えるための様々な訓練をする。

優大のために、何かしてあげなくては。。という思いがとても強くなっていた私は、とにかくまずは療育に触れさせることばかりを考え、相当張り切っていた。

帰国したばかりなのだから実家でゆっくり休んで、、などとは考える余裕もない。

3週間ほど、何組もの親子と共に母子入院し、泊まり込んで訓練や指導を受けた。

この時の優大がどうだったか思いだそうとすると、実は余りよく覚えていない。

私は多分、優大を見ていたのではなくて、自分の中の大きなプレッシャーと、ひたすら対峙していたのかもしれない。

中国では何の情報も手段もなく、必要なケアをしてあげられていないことが不安で仕方なかった。

いざ情報もサービスも自由に得ることができる日本に帰って来たことで、更に強い焦りを感じていたのだと思う。

優大を守らなければいけない、優大を育てなければいけない、優大の命を何としても私が繋いでいくのだ。

そんな大きな責任と義務感で私の心は一杯だった。

少しでも自分が安心することができる、何か確かな子育ての道を探そうと必死だった。

母子入院を終え九州の実家に戻った。

夫が帰国するまでの1年の間に、地元にある療育のための教室に通うことになった。

教室の名前は「なかよし学級」。

キリスト教会に併設されてあり、教室のための広い部屋にキッチンが別についていて、入院していた大きな療育センターと比べるとこじんまりとした施設だ。

療育施設は学ぶところというイメージもあり、恐る恐る中に入ると、先生方のとても優しい屈託のない笑顔が迎えてくれた。

「優大くんよくきたね~!」と。

そこに流れている空気はとてもゆったりとしていて暖かい。

最初は私も優大も緊張していたが、すぐに先生方の、何の偏見もなく愛情いっぱいに優大を見て下さる眼差しに、次第に心が解けていった。

なかよし学級は、子どもに対してだけでなく、障がいを持った子どもと歩み始めたばかりの親の心のサポートにも大きな心配りを
して下さった。

いつもは母と子どもと一緒にたくさん歌を歌ったり、抱っこしてエアートランポリンに乗ったり、お散歩したり五感で楽しめる様々な遊びをする。

海や山に遠足にも行った。

月に一回、子ども達と離れて、母のための時間ももたれた。

お茶を飲みながら話すだけの時間だったが、この時間に私は本当に助けられたように思う。

時に、母達がそれぞれが苦しい心のうちを吐露することもあった。

涙を流し、弱音や悩みを話すことが許されている場があることで、自然と心が癒されていった。

受け入れてもらっている、認めてもらっている、ここにいていいんだ、という安心感は、それまで孤独な育児をしてきた私が一番求めていたものだった。

初めて教室で祝ってもらった三歳の誕生日、お祝いの言葉と歌を聴きながら今まで必死に育ててきたことの全部を肯定してもらった気がして、嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。

優大もまた、驚くような成長を見せてくれた。

名前を呼ばれると「おー」と声を出したり、手を動かしてお返事をした。

教室の様子、お友達の声や先生方の歌にも興味津々で聞き入っては、キョロキョロと視線を動かして、時折嬉しそうな笑顔を見せた。

苦手な大きな音や動きには泣いて抗議している様子が本当にかわいかった。

大脳が全くないのに、いろいろなことを感じ、考え、どうやって
こんなにも表情豊かに、いきいきとした様子を見せてくれるのか。

お腹が空けば「まーむ、あむー」と喃語での意思表示をするよう
にもなった。

体調が悪くなったり、私がいなくて不安で仕方ない時には時々「まー。まーま」と言うこともある。

二時間しか生きられないかもと言われた優大だった。

産んでも仕方ないと。

もちろん首も据わらないままだけれど、優大はごくごく自然な彼のペースで成長している。

心にやっと余裕ができた私も優大のささやかな、ひとつひとつの成長が今までよりも目に見えて感じられた。

命とはなんと可能性に溢れたものだろうか。

そして、できる、できないを越えて、その成長は命の輝きそのものとして私の目に映った。

 

単身赴任となった夫とは電話やFAXで毎日やりとりしていた。

実家にいれば家族がいつも助けてくれるし、育児に専念することもできるし、安心感はあった。

でも、夫であり父親である彼に本音や弱音をぶつけられないことはやはり寂しく心細くもあった。

優大の命を預かる大きなプレッシャーや苦悩を、離れている夫に理解してもらうことは難しく感じていた。

ある時、なかよし学級でのサマーキャンプがあり、夫も参加することができた。

1泊2日のキャンプの中で、夫にとっては、障がいのあるお子さんを抱える他のご家族の育児に初めて触れる機会となった。

あるご家族とのお話の中で、子どもさんと奥さんのためになれば仕事は二の次でもよいと言う言葉に大きなショックを受けていた。

最初は理解もできないようで、話しの噛み合ない様子に、私は苦笑いするしかなかった、笑。

キャンプが終わりしばらくして、今まで自分に家族を合わせてきたことや、育児にあまり関わらないで来たことに初めて違和感を覚えたことを話してくれた。

なかよし学級は、夫にとっても大切な育児の原点になったようだった。

そして何より私にとっても、大切な心の故郷とも言える場所だ。

あんなに疲れきってしまって固く閉ざされてしまった私の心も、気付けば本来の私らしく笑うこともできるようになったのだ。

1年が過ぎ夫の帰任が迫ってきた。

東京に引っ越す日が近付き、なかよし学級を卒業する日、再び慣れない環境へと引っ越さなければならないことで、不安に駆られていた私に、先生方はニコニコと笑いながら、でもしっかりと確信を持っておっしゃった。

「だいじょうぶよ。」と。

この一言が大きな勇気となった。

これまでずっと一人で自分に言い聞かせてきた言葉だった。

初めて、私のたくさんの苦しみも悩みも、共に受け止め理解して
下さった先生方やお母さん方が言ってくれる「だいじょうぶ」は心に深く沁みた。

真っ暗闇を彷徨っている様な苦しい日々を越えて、私の中に「これでいいんだ」というあるがままを受け入れようとする心が芽生えていた。

それは、悩みながらも懸命に子育てをしてきた私と、重い障がいのある優大を、丸ごと肯定してもらった日々から生まれた希望の光だった。

だいじょうぶ、の言葉と共にもらった勇気を胸に、私達は九州を後にして今度は東京へと旅立った。

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」