Story11 夫編「8歳の試練」

7歳の優大は大手術を受け、生死の境目さまよいました。

説明が重複してしまうので、経過を含めて、是非妻のパートを先にお読み頂ければと思います。

僕はこの時まで、優大がいつか亡くなるとは思っていませんでした。

勿論、理屈では分かっています。
でも「そんな事は当分起こらない」そうおぼろげに、根拠もなくそう思っていました。

今考えれば不思議な話ですが、彼は大丈夫、死なない。
だって、死ぬ理由が分からない。
単なる能天気な父親でした。

2時間ぐらいで終わるはずのシャント不全の手術は深夜に漸く終わりました。

ICUで優大と漸く対面できた時、「良かった!優大はまた一つ試練を乗り越えた。本当によく頑張ったね。」

と、過去に何度かあった「危機は乗り越えた」という感覚が僕にありました。

なので、ICUからなかなか出てこられない状態でも、「いやいや大丈夫でしょ」と内心では思っていました。

しかし、そんな楽観視を吹き飛ばすように
優大の呼吸状態はどんどん悪くなり、自発呼吸が難しいとされるレベルまで低下してゆきました。

「え、もしかして本当にヤバいのかも…」
小児科の担当医との連日の面談では、本当にジェットコースターに乗っているかのように一喜一憂していました。

ICUの担当医は、煮え切らない僕に痺れを切らし、妻に迫るように、「再挿管します。良いですね!」と言いました。

妻は小さく「はい…」とうなづきました。
彼女の目には強く、そして重い覚悟が現れていました。

その返事を聞いて初めて、彼女が優大の「生」だけでなく「死」をも受け入れて今まで生きて来た事を知りました。

いつも楽観的に「大丈夫、なんとかなるよ」と言っていた自分の浅はかさを責めました。

自分の覚悟なんて、今までずっと母親のそれには遠く及ばないものだった事に初めて気づきました。

その瞬間、涙を押さえることがどうしてもできず、医師や看護師さん達の前で号泣してしまいました。

「優大は死んでしまうのかもしれない」という恐れと不安が現実のものになりました。

再挿管し、ICUでの集中管理を続ける中、彼の呼吸状態は少しだけ安定してきました。

その状態を見て「やっぱり大丈夫かも!」僕はまた一喜一憂を繰り返しました。

再挿管状態でICUにずっといる事はできません。
僕は妻と夜通し話し合った結果、気管切開して人口呼吸器をつけるという選択は選ばない事にしました。

その裏には、「きっと自発呼吸は戻ってくれる。やっぱり優大は大丈夫なはず」という楽観視もありました。

妻は悲観も楽観もせず、ただあるがままを受け入れようとしているように見えました。
「一喜一憂するのやめなよ」とも言われました。

でも僕は自然体でいる事がどうしてもできず、希望的観測と深刻な現実の狭間で揺れる事しかできませんでした。

ICUを出れるギリギリの状態まで回復したタイミングを見て、僕らは小児科の主治医とICUの担当医に事情を説明し、同意書にもサインした上で、一般病棟に移してもらえる事になりました。

人口呼吸器が外れた優大は金魚が最期の力を振り絞るように必死にパクパクと口を動かしていました。

酸素飽和度が低い下のでモニターは常にアラームを鳴らしています。

「頑張って欲しい」
「もう無理しないでいいよ」
2つの気持ちが混ざりあっていました。

病室にいる間、妻と話していると自然と優大への感謝の言葉が湧いてきます。

お見舞いに来てくれる人達も、みな口々に感謝の言葉を語りかけます。

その言葉を聞いているだけで有難くて、辛くて号泣してしまいます。

ギリギリまで衰弱し、かすかな呼吸しかできなくなってしまった優大でしたが、

唯一の願いである8歳の誕生日まで、なんとか息をつないでくれました。
6月16日の手術から1週間が経とうとしていました。

6月22日。優大誕生日の朝、午前中早い時間に、病院の先生と看護師さん達、特別支援学校の先生達も駆けつけつけてくれました。

最後になるかもしれない誕生日会を開いてくれる為です。
とても賑やかでしたが、悲しい誕生会でした。

学校の先生達は校庭で探した四葉のクローバーを持ってきてくれました。

僕はこの時には「死」を受け入れる覚悟を決めていました。

本当にいろんなことを学び、幸せをいっぱい味わった日々だった。
心からそう思えましたお陰で後悔の念はありませんでした。

優大の必死の戦いは誕生日以降も続き、
あと数時間と思われた命は1日、また1日と繋がってゆきました。

あまりにも長く会社を休んでしまっているので、何かあればすぐ駆けつける用意をして、出社した事もありました。

久しぶりに会う同僚達は皆心配そうに声をかけてきます。

仲の良い後輩と話していて「状況がかなり深刻なんだ…」と伝えたところ、彼は

「あきらめたらそれで終わりですよね?」
と漫画スラムダンクの名言を知ってか知らずか、叱咤激励の言葉をくれました。

「そんなに簡単な事じゃねーんだよ!」
喉の奥まで出かかりました。
キレる寸前でした。

親がどれだけ想おうと、子供の命を救う事はできない。
信じる、信じないとかそういうレベルではなく、もはや自然の力に、神に任せるしかない。

せっかくの励ましの言葉でしたが、僕にはそれを受け入れられる余裕もないぐらい極限状態でした。

そこから先は妻のパートの通りです。

誕生日の翌日もパクパク呼吸を必死に続けながら、あと数時間と診断された命があと2、3日に延びました。

途中、またシャント詰まりを起こして危険な状態に逆戻りしたり、薬の副作用で皮膚はボロボロのケロイド状態になりました。

そして1ケ月ぐらい経った頃、本当に奇跡が起きました!

酸素飽和度や心拍などのバイタルと呼ばれる生命維持活動に必要な値が安定し始め、経管栄養の水分注入を100ml開始できるまで回復しました。

皮膚のケロイド状態もその下から新しい真っ白な皮膚が盛り上がるように良くなってゆきました。

僕も「優大、もしかして脱皮?」そんな冗談が出るぐらい心に余裕が出ていました。

恐らく、あの状態から回復した例は健常者でも稀なんだと思います。

最終的には、先生達は完全に亡くなる想定で動いていたし、だからこそ、看護師長さんは特別室をあてがってくれました。

映画のような奇跡を見せ、医療の常識をはるかに超える優大の命の強さを見せ、小児科の先生達は「やっぱり優大くんは凄い!」と、自分の家族の事のように喜んでくれました。

※それから1年後、9歳の誕生日に。家族の大切な思い出です。

 

 

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