6月22日に生まれた優大。
身体を大きくする為に、暫く小児科に妻と一緒に入院する事になりました。

医師の厳しい宣告にも関わらず、取り敢えず普通の赤ちゃんと変わらない感じです。

僕はその様子を確認した後、急ぎ広州に赴任することにしました。

こんなに長く休んでしまった。
とにかく、早く仕事に復帰しなくては。
これ以上会社に迷惑はかけられない。
そんな気持ちでした。

九州の空港から上海経由で広州へ。
出発当日、日本発の便が大幅に遅れ上海空港で足止めとなり、結局その日中に広州に着く事ができませんでした。

上司と先輩が歓迎会の準備をして待っていてくれたので「最後の最後にすみません!」と電話で謝ると、

「なに言ってんだ、最初の最初だろ 笑」そんな感じのバタバタで僕の海外駐在が始まりました。

現地での僕の仕事はセールスマネージャー。
当時25歳、日本での営業経験もない自分にとっては、このポストはかなりハードでした。

大学で専攻した北京語は通じるものの、商売上の公用語、部下達の日常会話は全て広東語なので、何を言ってるかが全く分からない。

営業同行中、部下達と小売店主との早口な商談を横で聞きながら、激しい疎外感を味わっていました。

しかし、そうも言っていられません。
僕のミッションは広州支店の売上大幅拡大。
何がチャンスで、何が課題なのか、自分なりの解決策を考えながら、日中は毎日外回りをしていました。

事務所に戻ってから、同じタイミングで赴任した新支店長と一緒に、組織体制の在り方、新しい開拓計画等、内勤の仕事も盛り沢山でした。

家から会社まで車で15分の近さだった事もあり、毎日朝は7時半から夜は12時近くまで、かなりガムシャラに働いていました。

不思議な事に、そういう時はアドレナリンが出ているのか、辛いとか嫌だという気持ちは全くない。

せっかく貰ったこのチャンス。
早く一人前になって報いなければならない。
今が一番の踏ん張りどころだ。
そんな気持ちで毎日を過ごしました。

優大と離れてひと月も経たないうちに、僕の頭の中は完全に仕事100%モードに切り替わりました。

自分は半人前なのに、責任の重い仕事を任されている。

全身全霊をかけてこの仕事をやり切るのだ。

自分のプライベートなど構う余裕はない。

その頃、日本にいる優大には、それから亡くなるまで付き合う事になる激しいてんかん発作が現れていました。

「発作が起こるのがわかって、怖いみたいで、起こる前に激しく泣くの」

「昨日は1日に100回発作があった…」

「発作の最中は全身を激しく震わせて呼吸を止めてしまうのでチアノーゼで身体がま紫になる…」

「発作が五分ぐらい続く事もあってこのまま止まらなかったらどうしよう…」

当時、毎日国際電話をかけていて、状況を見る事ができない僕の為に、妻が優大の事を必死に説明してくれました。

「本当に苦しそうなのに、何もできなくて見守るしかできないのが辛い。」

「(発作が原因では死なないけど)その度に、優ちゃんが死んじゃうと思って悲しくて、不安で仕方がない。」妻は泣きながら、そう語っています。

日中は仕事に没頭しているので忘れてしまっている深刻な現実。

電話の向こうの様子を想像しながら、大変な状況を頭では理解するものの、「そっちも大変だろうけど、こっちはこっちで仕事が大変。」それが当時の僕の心境でした。

あれだけ大切に想っていた息子の命。
でも離れて暮らすうちに、現実の生活に飲まれてしまったのかもしれません。

優大の事でこれ以上会社に迷惑をかけてはならない。だからこそ、早く一人前になって結果を出して、会社に貢献しなければ。

そんな気負いと焦りが僕の中に激しく渦巻いていたのを察してか、妻は電話を切る時には必ず

「あなたも身体に気をつけてね。あんまり頑張りすぎて無理しないでね。」と、こちらを気にかけてくれていました。

ある日彼女から届いた荷物の中に一枚の厚紙に綺麗に装飾されて
書かれた聖書の引用が入っていました。

「明日の事を思い煩うな。
明日は、明日自ら思い煩わん。
一日の苦労は、一日で足れり。」

仕事に100%集中できない状況の、半人前の駐在員を獲ってしまった。
支店長や先輩はこんな僕の事をどう思っているのだろう。

他の人が赴任してくればこんな事もなかったのに。

これから大きくなっていったら、多分どんどん普通の子とは違う感じになっていくだろう。優大を見て、みんなはどう思うんだろう…。

日中は仕事に逃げる事ができても、夜一人になれば、様々な葛藤が頭をよぎります。

そんな時に妻から貰ったこの言葉。
駐在中何度もこの言葉に救われ、今日まで大切に持っている言葉です。

今こうして振り返ってみると、これは僕への励ましの言葉であると同時にもしかすると、彼女が彼女自身に贈った励ましの言葉だったのかもしれないと感じます。

※赴任後に一時帰国し、妻の実家で再会。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」