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愛を込めて。大丈夫。

今の日本で、不安や落ち着かない気持ちを持っている人も多いと思う。

私は今に限らずいつでも情報収集をしてしまうタイプで、情報過多になった時に頭の中がパニックになることもあるので、この騒動の初めの頃に激しくダウンした、苦笑。

よくも悪くも、私の感覚センサーの感度は非常に高いので、見えないことまで感じとって、人酔い場所酔いエネルギー酔いもする。

今もし、辛い感じがある人は、情報量を少なくすることでいくらか楽になると思う。

情報弱者という言葉もあるように、もちろん一定の知りたいことは短い文面なんかで仕入れて、でも、そこに感情の乗っかっている情報にはなるべく触れないようにする。

すると、エネルギー酔いが少なくなるからオススメ。

知る義務、見る義務、正していく義務がある、とかいうのは自分だけが不安なのをなんとか誤魔化したり正当化したい時に言われる言葉だったりする。

見たい人は見ればいいし、正したい人は怒ったり行動すればいいし、それは本当に自由だもんね。全員の義務ではないことだけは確か。

私たちって、自分以外のことについて心配したり怒ったりすることで、実は心に安定をもたらしたりもするんだと思う。

今落ち着かない嫌な気持ちなのは、自分が悪いんじゃなくて誰かのせい、何かのせい、と思う方が楽なのかもしれない。

本当は、不安な自分はまるっきり悪くないのだけど、もし人よりそれが強いように思う時には正当化する必要なあるように思うものだから。

だけど、一番楽になるには、まずは不安を感じて不安をあらわしてあげることなんだ。

泣いたりわめいたり、地団駄踏んだり叫んだり、寝込んだり八つ当たりしたり、一通りやっていくと、あとはどこかに落ち着くことになるの、笑。

経験者談(はい、わたし、笑)

まあ、敏感な度合いや種類によって解放のプロセスも違うと思うから、自分のあらわし方で。

そしたら、自分の中の平和なスペースを積極的につくっていく。

美味しいお茶を飲んだり、空を見てぼーっとしたり、漫画を読んだり、なんでもいい。

なるべく一人でできて満喫できることを取り入れると、環境や相手に頼ったり左右されたりせずに、平和な空間が手に入るから。

言ってもらいたい言葉を自分にかけてあげる、されたいように優しく接してあげる。それだけで、癒えていくものがる。

自分で自分の平和をつくれるようになったら、この世界は平和以外のなにものでもない♡とってもシンプルなんだよね〜。

今、もし困っている仲間がいたら、大丈夫だよ、と心からの愛を込めて言いたいと思う。

なんどでも、いつでも、また自分の中の平和なスペースに戻って来ればいい。うん、大丈夫。

 

 

 

 

 

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wonderful world

shanti houseの活動を始めた時に、「ありのまま」というキーワードがとても大切に感じていた。

ありのままの自分でいてもいい、いられる場所をつくりたい。そして地球全体がそんな場所になったら。。という願い。

 

あれから5年、私の中の深いところで、学びや気づきが継続的に起こってきた。

ありのままで輝くために、どうしたらいいか?何が助けになるか?と考えていた私は、しだいに「今のままがありのまま」だ、というとてもシンプルな真実を心底受け入れるようになった。

 

ありのままでいられない、なんてことは起こらない。

ただ、自分を愛せなくて苦しんでいる時、認められたくてもがいている時、そんなありのままの自分自身を「受け入れる」ことが難しいだけ。

 

本当は、いつでもどんな時も、いのちの輝きは消えることがなくて、その人の価値も決してなくなることもない。

ありのまま、生きてることが、最高に尊い。

 

だから、今の自分以外の何にもならなくていい、どこにも行かなくていい。

そして同時に、もし行きたいところがあればどこへでも行けばいい。

やりたいことがあれば何でもやればいい。

 

自分というwonderfulな世界の真ん中で、人生という旅をしている私たち。

愛すべきこの世界!

愛おしいいのちたち!

 

幸せだなぁと今日もしみじみ思う〜笑。

 

 

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生きてるだけで満点

ふとね、思ったんです。

人生を減点方式で評価していれば、満点になんてなるはずないなって。

 

だって欲とか理想って誰にでもあるものだし、満足したら終わりだ!っていう思想は日本ではポピュラーだしね。

高みを目指して努力する、とまではいかなくても、いまより良いものを目指すこと、自分の価値をあげるために頑張ることが普通なんだよね。

 

だから、足りないところを探す。

何を足したら良くなるか?習慣や技術や能力や信念、とにかく足す必要のあるものを探す。

 

だから自然と、いつも自分は不完全だし、満点になんてなることがない。

 

では、加点方式ならどう?

いまここにこうして生きていることは、100点満点中何点?

共に話して笑い合える人がいることは何点?

空がきれいだなって心がふんわりすることは何点?

 

その瞬間の満点が、人生には散りばめられているんだよね。

 

思考がいまじゃないどこかに逃げ出してしまう時には、私たちは本当に不完全な存在に感じるかもしれないけれど。

あの時の私は不幸だったとか、未来の私には不安しかないとか、いろいろ頭の中はうるさいかもしれないけれど。

 

減点方式はお休みして

「今日も一日生きて、満点です。」

そう、自分に言ってみる。

理想の自分には程遠くても、生きてることがもう100点なんだから。

 

すべての存在に愛を込めて。

 

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わたしは最高

 

誰かの演じている物語の脇役じゃなくて

私たちはみんな自分の描いた物語の主人公を生きている。

 

自分が自分の人生の主人公だと理解してから

もう何年の月日をかけて、私自身に向き合い続けてきたかな、と思う。

 

そして、それ以外生きられないくらいの心身の不調が訪れてからは、とにかく苦しかったけれど、

どこかでこの苦しさから完全に抜けることの、恐怖もあったんだと思う。

だって元気になっちゃったら、私また我慢しちゃうんじゃない?自分の心をごまかして笑ってしまうんじゃない?

そんなこと、どこかで感じていた。

 

 

「わたしはわたし。わたしは最高。」

 

そういう風にマインドセットされたまま大人になる人は少ない。

うちの夫がその少数例だけど、笑。

 

私の場合はその全く逆で

 

生きることはこんなに不安で苦しいのに、私はなんで生まれてきたの?

 

この疑問の答えを探す日々の中、宇宙の真理に触れたり、自分の使命に気付いたり、喜びに溢れるために生まれてくることを思い出したりした。

気付きが深まり、世界はどんどんシンプルになった。

 

それでも、、何かが足りない、何かを変えなくてはいけない、そんな思いが残っていた。

 

 

私のように、自我が十分に育つ前のとても若いうちから自己探求が始まる場合、

「自分が何者かを理解すること」を終えても、自分でいればいいだけ、と真から思うまでにはやっぱり必要な道があるんだろうなって。

 

染み付いてしまった、思考の癖や、行動のパターンや、トラウマや、いろんなことを癒してあげる時間は誰にも必要だ。

だって、人間だから。心と身体を持って生きているから。

 

今思うんだ。

「わたしはわたしでいい」と、思い出すために生きてきた人生劇場の第一幕が下りた。

そして次の幕があがるまでのお稽古期間みたいなものに入ったんだなって。

もしかして、同じような道を辿っている人がこれを読んでくれているのかもしれない。

だからわたしとあなたに言うね。

 

生きているのが辛いと思ったら、自分をぎゅっと抱きしめて。

「あなたじゃなきゃダメだったんだ。」

って言ってあげよう。

「私の望んだ人生を生きるために最高のあなたを選んだんだよ!」って。

 

「わたしはわたし。わたしは最高。」

 

いつだって、本当は一人じゃないから。

この人生で出会えるすべての人たちが、あなたの物語に参加してくれてる最高の仲間なんだよね。

 

難しい役を選んじゃったわたしとあなた、笑。

ビバ人生劇場!

 

溢れる愛を込めて