Story6 妻編「中国で重度障がい児を育てる」

いよいよ中国への出発が迫ってきた。

慌ただしく予防接種などを済ませ、引っ越しの準備を進めながらも、心中は複雑だった。

夫のいる所へ早く行きたい。

けれど、重度の障がいがある優大を連れての駐在、しかも行き先は中国。

生活、医療、どれをとっても不安は尽きない。

入社してすぐに念願が叶い、海外駐在への道が開けた夫や、期待している両親のことを考えれば、行って欲しくない、付いて行きたくないとは言えなかった。

何よりも夫には全く選択の余地はなく、当然来るものと思っているのはわかっていた。

後になって沢山の方に、その状況でよく行ったねと言われて初めて、この決断の大きさを感じたくらいだった。

私と優大は迎えに来た夫とともに中国へと旅立った。

広州空港へ近づき、機上から初めて見る中国の空は灰色で、街の様子もよく見えないほどだった。

空港から一歩外へ出ると、熱帯のもわっと湿った暑い空気に驚いた。

沢山のバイクや客引きのタクシー、無秩序に道を歩く大勢の人々、圧倒され身の危険を感じるほどの混雑。

優大をしっかりと抱きかかえ、大きなスーツケースを持って何とかタクシーに乗りこむと新居のマンションへと向かった。

クタクタに疲れ果ててマンションの部屋に入り、ソファに倒れ込んだ。

この瞬間、家族水入らずのひと時が訪れた安堵感は、今でも鮮明に思い出すことができる。

不安だらけで来たけれど、夫がいてくれる安心感はとても大きかった。

ここが我が家になるんだ。

そう思ったら少し希望のようなものも見えて来た。

そこがどこであれ、初めて家族三人で暮らせる喜びはとても大きかったのだ。

こうして始まった家族での駐在生活は、すぐさま困難にぶつかった。

高層ビル群とバラック住宅、混沌としながらも発展の様子がみてとれる比較的都会の広州市の街。

街中を10分も歩けば鼻の周りが黒くなる程空気は悪い。

街には子どもが溢れていたが車いすに乗っている子は全く見かけなかった。

優大を連れて歩いていると、人の視線が容赦なかった。

首が据わっていない大きな赤ちゃんがベビーカーに寝かされているのがよほど珍しかったのだろう。

ジロジロと眺めるだけではなく、ついて来て突然何も言わずべビーカーの日よけを開けて覗き込む人までいた。

日本で言う常識はそこにはなかった。

引っ越してほどなくして、私の母乳は出なくなった。

胸はパンパンに張って母乳も十分に出ていたし、それまでの半年間は優大は母乳だけで育っていたのだ。

突然出なくなってしまった母乳。

そして後に大変重症の乳腺炎になり、患部がプチトマトのように腫れて皮膚が破けて、膿が飛び出してくるという驚くべきことが起こった。

そしてもっと驚いたのは、患部だけでなく乳房ごと切除して悪性かどうかを調べる、と言われたことだった。

急いで一時帰国して日本の病院を受診した私は、そこで初めて乳腺炎というものがあることを知ったのだった。

今思えば引っ越し当初から続いた大きなストレスが原因で母乳が止まってしまったのだろう。

一人目の、それも特別なケアの必要な子育て。

日本でさえとても珍しい病気であった優大の子育てはもともと手探りだった。

しかも場所は中国。。

本当に何の情報も助けもない。

おっぱいが止まってしまったのも自分のせいだと思ったし、それを悩んでいるような余裕さえなく、私は必死だった。

やっと家族がそろったのに私は一人でこの子を守らなければならない。。

重い責任感がのしかかった。

そんな引っ越したばかりの不安な日々の中にも、暖かな出会いが待っていた。

同じマンションに住んでいた駐在婦人のじゅんこさん。

彼女の支えは本当に大きなものだった。

自宅に招いてくれてとても美味しい手料理をご馳走してくれた。

買い物の仕方や、息抜きの習い事や、いろんなことを教えてくれた。

ある日、確か私が病院に行くことになり、優大を預かってもらったことがあった。

急いで彼女の家まで戻ってくると、そっと大事に優大を抱っこして部屋の中を歩いているじゅんこさんがいた。

とても嬉しくてありがたく思ったことを今でもよく覚えている。

優大が重度の障がいがあることで、人目も気になるしなかなか奥さんたちの輪に入れない私にとって彼女の存在にどれだけ助けられたかわからない。

そうやっていつも私は誰かに助けられてきたように思う。

出張で留守がちな夫だったが、休日には家族で茶館や飲茶にでかけた。

蘭圃というとっても美しく落ち着く庭園で中国茶の茶道である工夫茶を頂いたり、

川沿いに面して広い遊歩道が続く旧外国人居留地である沙面地区を散歩するのもお気に入りの休日の過ごし方だった。

広州にも素敵な所が沢山あることも知れた。

もともと語学が好きな私にとって、中国語のレッスンも楽しみの一つとなった。

次第に中国語が話せるようになると、優大を抱っこして一人でタクシーに乗って買い物に出かけた。

「そこを右、次を左、後はまっすぐ」

そんな片言の中国語でも大きなショッピングセンターには行くことができた。

外国人価格が当たり前の中国では大きな店以外での買い物は交渉が必要だった。

値切ったり、注文することもできるようになると、生活は一気に自由になった。

長い休みには香港まで足を伸ばし、ビクトリアピークに登ったりショッピングを楽しんだ。

市街地から少し離れた、環境の良い住宅地に引っ越しまた新たな出会いや、美味しいお店や、新たな楽しみも増えた。

夫と二人で、日に日に成長してくれる優大の表情や声やその存在を真ん中に暮らす毎日はやはり幸せだ。

けれど、様々な困難と、時折押し寄せてくる、どうしようもない疲労感に私は少しずつ、心から笑うことができないようなそんな感覚を覚え始めた。

中国への引っ越しから2年以上が過ぎた頃だった。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」