優大の無事の誕生を見届けると、夫はまたすぐに中国に戻った。

これからしばらくの間、実家での生活が始まると思った矢先の出来事だった。

腕の中の優大が身体をキュッと固くしたかと思うと、ガクガクと震えだし、顔色がサッと悪くなっていく。

すぐに治まったが、初めてのいい知れない恐怖に身体の中が冷たくなるような感覚を覚えた。

それは出るかもしれないと言われていた、初めてのてんかんの発作だった。

発作が治まってからすぐ病院へと向かった。

これからどうなってしまうのか…予想はされていたことだったが、優大を抱きしめながら病院へと向かう車中での私は、ただただ呆然と外を眺めていた。

障がいと言うものを始めて実感として知った瞬間だったのかもしれない。

すぐに入院となり治療が始まった。

順番にいくつもの抗てんかん薬をためしては、様子を見る。

小さい優大の頭に電極をたくさんつけて脳波の検査も行った。

けれど、結果はなかなかついてこなかった。

おさまらない発作に、難治性てんかんと病名がつき、入院は一ヶ月以上も続いた。

発作の不安からか優大はベッドに寝かせてもスヤスヤと眠ることはほとんどなかった。

すぐに泣いてしまうので、昼夜問わず、ずっと抱っこしていなければならない。

同じように小さい赤ちゃんやお子さんと付き添いのお母さん方の
迷惑にならないように、特に夜は、暗い廊下を抱っこして、何往復も何往復も歩いた。

疲れると、廊下のベンチで座ったままウトウトするような毎日だった。

若い私だったが、次第に体力も気力も萎えていく。

なにより優大が発作の度に呼吸を止め、チアノーゼを起こして全身が紫になる。

それを見ていることしかできない無力さが湧き上がり本当に悲しくて仕方がない。

優大がどうなってしまうのか、死んでしまうんじゃないか、という不安を一人で抱えるのは相当なストレスだった。

そのころ、病院の公衆電話からときどき国際電話をかけると、夫は赴任地で夜中まで残業し、奮闘している様子だった。

頼りたい時に夫はいない。

私はかなり消耗していたが、優大のことがかわいくて仕方がない、その気持ちだけが私を支えてくれた。

嚥下が上手でないので、しょっちゅう咳き込みながらも懸命におっぱいを飲み、発作の無い機嫌のいい時には、手足をバタバタと動かしたり、大きな目をキョロキョロとさせる様子は、疲れを吹き飛ばした。

国際電話ではなかなか長くもはなせないので、私は夫とFAXでやりとりをすることにした。

 

ある日のやりとりより

***

ひろへ

お元気でしょうか?
faxなかなか書けなくてごめんね。
優ちゃんの様子を見ながら、
時間を見つけて睡眠を取り食事をし、
一日があっという間に過ぎてゆきます。

今日、優大は調子がよくありません。
この前使った坐薬のお陰か、
二日間は治まっていたのだけど、
今朝からはずっと発作が続いていて
度々呼吸を落としてしまうので、
酸素を吸わせたりしながら様子を
見ています。

身体の調子はどうですか?
疲れを甘く見ないでね。
大きな病気に繋がります。
私もなるべく寝るようにします。

優大が大変な時は、本当にひろが
居てくれたらと思います。
とても一人では抱えきれない
という気持ちになってしまうから。

私が母親、だからしっかりしなくては!!

九月に会えるといいなー。
パパも頑張ってね(本当は頑張り
すぎないでと言いたいけど 笑)。

***

幸恵、優大

昨日の夜は優大の調子はどうでしたか?

幸恵がなるべく寝られたらと思うけど、
そうもいかないのでしょうね。

酸素を吸わせるというのは初めての
試みですよね?
大分具合が悪いみたいなので心配です。

毎日電話で話せなくなったら、
とたんにホームシックになりました。
九月に一時帰国することも
念頭に入れておきます。

母親だからといって
頑張りすぎないように。
あなたは母親になったばかりだし、
少し前までは子どもだった訳で。
とにかく肩の力を抜いてゆきましょう。

優大は毎日お母さんと一緒で、
きっと幸せなはず。
僕も君のことを想って頑張ります。

***

こうして私達はなんとか母として父として、お互いの気持ちを確認しながらこの試練を乗り越えた。

度重なる試行錯誤のおかげで次第に薬が効き始め、何とか自宅で服薬することで治療を続けることができることになった。

その頃、優大はぷくぷくと太って立派な赤ちゃんになっていた。

生まれ持った生命力、生きていく力をまた見せてくれた。

何も知らない新米の母親だった私も、随分強い母親へと変化したように思う。

優大に日々教えてもらい育ててもらっているのだろう。

こうして最初の試練を乗り越えて、五ヶ月になった頃、いよいよ私達の中国広東省への引っ越しの日がやってきたのだった。

 

 

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優大とわたしたちの10年間の物語 目次

About Stories 「物語の前に」

Story1
妻編:「赤ちゃんにノウガナイ?」
夫編:「幸せな若夫婦への突然の報せ」

Story2
妻編:「悲しみと隣りあわせの幸せ」
夫編:「試練、負けるもんか」

Story3
妻編:「この腕に抱きたい」誕生へ
夫編:「産むのはおかしいことですか?」

Story4
妻編:「天からの贈り物」
夫編:「想像できなかった現実」

Story5
妻編:「発作との日々の始まり」
夫編:「いざ広州へ」

Story6
妻編:「中国で重度障がい児を育てる」
夫編:「いよいよ!家族揃っての駐在生活。。」

Story7
妻編:「必死だった日々も。。」
夫編:「妻任せの障がい児子育て」

Story8
妻編:「これでいい。だいじょうぶ。」
夫編:「なかよし学級で教えてもらったこと」

Story9
妻編:「失うことの恐怖。。希望へ」
夫編:「生後5年目、初めての介護育児」

Story 10
妻編:「優大チームの介護子育て」
夫編:「優大5歳、お兄ちゃんになる」

Story 11
妻編:「生きていることの奇跡」
夫編:「8歳の試練」

Story 12
妻編:「当たり前でない日々、10年」
夫編:「命は必ず尽きる、ライフワークは何か?」

Story 13
妻編:「命の最期のしごと 前編」
夫編:「そして、九州へ」

Story 14
妻編:「命の最期のしごと 後編」
夫編:「命日と誕生日、優大の旅立ち」

Story 15
妻編:「すべてが贈り物」
夫編:「3人家族、新しい生活」

Last story
妻編:「生きて!」ママへ、そしてかけがえのないあなたへのメッセージ
夫編:「4人で5人家族、優大学校からの学び」