シャンティハウスのビジョン

「わたしたち一人一人が生まれながらに価値があることを知り
ありのままの自分を認めいのちを輝かせて生きる世界へ」

すべてのひとがありのままの魅力や自分ならではの力を発揮できる社会
それはまるで地球全体が一つの大きな家族のように安心して暮らせる世界になる
というビジョンを持ち活動しています

みなさんの経済的支援・共に活動すること・心を寄せてくださることを通して
この器に注ぎ込まれるエネルギーが新たな想いを乗せてひと・社会・世界へと放たれ
すべてのひとが心豊かに輝いて生きるための流れとなり大きく循環するよう活動します

shanti * shanti * shanti *

一般財団法人シャンティハウス代表理事
中島幸恵

profile
  • 1976年生まれ 長崎市出身
  • 1999年 東京外国語大学を卒業後、大学の先輩であった夫と結婚
  • 2000年 重度障がいで生まれた長男と共に夫の駐在先である中国広東省に駐在、帰国後次男を出産
  • 2011年 享年10歳で長男を見送る
  • 2012年 鎌倉市に転居し長女を出産
  • 2014年 シャンティハウスを主宰し誰もがありのままでいられる場所作りや、プライベートセッションを開始
  • 2016年 バンコクにて2度目の駐在生活をスタート
  • 2018年 帰国後、鎌倉に戻り、夫の中島広数が立ち上げたfreebee株式会社に参加
  • 2021年1月 シャンティハウスの活動を本格的に再開しより広くシャンティハウスのビジョンを伝える準備を始める
  • 2021年3月 stand.fmにてラジオ番組 shantihouse~ENERGY FLOW~の配信を開始
  • 2021年7月 一般財団法人シャンティハウスを設立

シャンティハウスに心を寄せてくださる皆さまへ

いただいたご縁に深く感謝するとともに、ここに私がシャンティハウスというわたしのミッションに辿り着くまでの人生の旅路の物語を少しシェアさせていただきます。

「Shanti House」の シャンティとはサンスクリット語で平安という意味です。シャンティハウスとはわたし中島幸恵が「一人ひとりがありのまま輝く世界へ」という想いを実現すべく2014年にスタートした活動です。

その第一歩として、どんな人も役割期待や同調圧力にとらわれることなく、そのままで安心しリラックスしてもらう場所、またそこで集う人同士の心と心で触れ合えるような繋がりを持てる場所をシェアしてきました。自宅を開放し主にヨガレッスンや料理教室、いくつかのイベントの他、ただ楽しく自由に集まって食卓を囲む日をシェアしたり、いつでもふらっと寄って少しお話したりお茶を飲む日を設けていました。

2015年頃からはプライベートセッションを開始し、心の奥にしまわれている本音や求めを探り、感情の絡まりやつまりをほぐしながら、本当に大切にされたいことに焦点をあて、生きていくことがより楽に、そしてありのままで輝いてよいと気づいていただくための時間をシェアさせていただいてきました。

小さい活動でしたが、鎌倉はもちろんのこと、県外や海外からもお越しいただくこともあり、シャンティハウスを通じて様々な出会いや輪が広がること、いらした方がご自分のありのままの輝きを見せてくださる瞬間を、とても幸せな気持ちで見て来ました。

わたしがシャンティハウスを立ち上げた動機は問題を解決するためではなく、わたしの役割を果たすことでこの世界が調和に向かうことがわかったからです。

わたしはもともととても幼い頃から、家庭内において不調和が生まれた際には、自分の不安や悲しみを封じ込めて家族の幸せを何とかしてつくりたいと思う子供でした。

相手の悲しみ怒りが解消されるように、みんなに笑っていてもらえるようにと思うあまりに、自分の心の訴えを無視していた時間はとても長かったように思います。

さらには、今ここにいないどこかで苦しんでいる子どもたちにもみんな安心と幸せを分かち合いたいという思いから、その当時一番悲惨に思えた内戦や虐殺からの復興に向かうカンボジアでの仕事を夢見て、中学生の時に、日本では唯一カンボジア語の学べる大学への進学を決めました。

そのような子ども時代を過ごしたわたしは、心の本音を押し殺し自由を失うことが身体の不調として現れ始め、小学生頃から自律神経失調症を発症しました。神経痛、呼吸苦、胃痙攣、下痢や嘔吐、過呼吸、毎月のように高熱を出し、いくつかの病気や手術も経験しました。幼稚園頃までは木登りや川遊びが大好きだった活発な子供から、気付けば立っているのもしんどく感じ、身体が弱いと言われるような子供へと変化し、そのまま大学生となりました。

身体の不調を心からのSOSだと気づくことができなかった、いえ気づいていても、それでも他者への貢献、優しくあること、いいひとでいることがやめられませんでした。

家族や社会に貢献できない自分には価値がない、と心のどこかで思っていたことに気づけたのはもう少し後になってからでした。

今思えばそれも、すべていまここの私へと繋がる道筋でした。なぜなら、社会や人々の幸せに貢献するためには、自分自身が満たされ幸せを感じていることが必要だったからです。そうでなければ、自分が枯渇しいつか壊れてしまう、ということをしっかりと気づかせてくれるための経験をしてきたのだと思っています。

大学卒業を控えていた頃、当時付き合っていたいまの夫が就職し海外駐在が決まりました。

カンボジアに行くという夢は大学入学早々に途絶えていました。実際に現地で経験した凄まじい下痢や混沌とした社会情勢を目の当たりにし、自分に何ができるのか、またなんのためにそれをやろうと思ったのかさえわからなくなっていました。

救いたかったのは、誰だったのか?もしかして自分自身ではなかったのかな。。とぼんやりと思い始めたわたしは、ダブルスクールをして心理カウンセリングの勉強をし資格を取得しましたが、相変わらず将来についてのビジョンは見えないままでした。

大きな夢に挫折し他のキャリアについては何一つ思い浮かべることができずにいたわたしでしたが、幸せな家庭をもち母親になりたいという願いだけは幼い頃から消えずに持っていました。そんな中で海外駐在が決まった夫との結婚は、正直渡りに船に思えました。

卒業後すぐに結婚したわたしは、翌年2000年の夏に水無脳症というとても珍しい個性を持ってこの世に誕生した長男の優大を授かることになりました。

お腹の中で大脳が全て欠損してしまった息子ですが、力強い生命力を持って無事に生まれてきてくれました。ですがやはりいつ命を終えるかもわからないという宣告に変わりはない状態でした。

それから毎日24時間、目が離せない付きっきりの介護育児が始まりました。常に些細な体調の変化を観察し警戒し、寝たきりの息子をお世話する日々は精神的、体力的にも本当に大変なことも多い時間でしたが、それを苦とも思わないほどの優大への深い愛おしさ、そして彼からもらう命そのものの輝きや根源的な尊さがそこにはありました。

*この10年間の物語は「優大とわたしたちの10年間の物語」に綴られています。

優大は2011年に命を卒業しました。その10年間の人生を通して、言葉の話せない彼がその姿を通し語りかけ、与え続けてくれたことのバトンを繋いでいくことを、わたしは心に深く決意したのです。

この世界に生まれ出たわたしたちはみな、生まれながらに価値があります。できることできないことにかかわらず、出会い繋がりあう中でお互いの存在を共有し影響を与え合い、なくてはならない存在としてここにあります。

家族や社会に貢献できなけば、大人になるにつれより金銭的な物差しで測られる貢献ですが、それができなければ自分の存在意義がないという思い込みが、わたしたちを生きづらくしてきました。わたしなんて、と思っている人が多いこと、同時にわたしだって、という心の叫びを押し殺している人の多いことが、わたしにはよくわかります。かつてのわたしがそうだったからです。

大人になる間に、そのままのあなたでいていいんだよ、ありのままのあなたが一番素敵だよ、と言ってくれる人にはなかなか出会うことができませんでした。

そんなわたしたちは落伍者にならないように、より社会的に価値のある人になるために、必死に勉強したり、時には人を蹴落とし、利益を奪い合ったりしています。

親から子へ、教育現場で、この固定観念はなかなか消えることなく続いてきましたが、いま次第に新しい風が吹き始めています。

日本では、東日本大震災やいま流行している新型ウィルスの流行などで、どんなに握り締めていても簡単に、あるいはいつかは必ず失くしてしまうものに気づくことになりました。

それは日常生活の安心や命そのものです。怖いという思いと同時に、自分にとって何が本当に大切かを知ることにもつながってきたのだと感じています。

ステレオタイプでない、一人に一つの幸せや満足、また自分の人生の優先順位もより明確になってきているのではないでしょうか。

それでもわたしたちはいままだまだ大きな変化の真っ只中にいます。

まずは自分で自分の心の声をしっかりと聴いてあげること、そこからわたしたちの幸せを感じられる土台が作られていきます。

人々が自分の持っている本来の力や魅力に気付き、そのままの自分でいることですでにこの世界にとってかかすことのできない大切な存在であることを思い出してもらうことが、わたしの仕事です。

また、そのような場に立ち合い、人々の力になることに最大の喜びを感じています。

そうやって、わたし自身が喜び感動するような活動を広げ、皆さんと一緒にさらに力を発揮していくことで、すべての多様ないのちへの根底からの肯定が世界に波紋のように伝わっていく起点となる、それがわたしたちシャンティハウスの役割だと考えます。

シャンティハウスの活動を始めたわたしにはある特別なビジョンがありました。これは一つの居場所作りから始まる活動だけれど、地球全体が大きな一つの家族になる、わたしたち一人一人がありのままの輝きを発揮し、お互いにその存在に助けられていることを感じながら心と心で繋がっていく世界を見よう。そう思い描いたのです。

いまわたしの人生の旅は次の扉を開けることになりました。シャンティハウスは財団法人となりずっとわたしの心の中にあったそのビジョンを皆さまと一緒に体験していく器として、また原動力となって世界に向けて活動していきます。それは何かを変えるためではなく、いまここから始まる新しい毎日の中で、わたしたちのいのちが喜ぶ瞬間をともに思い切り味わい楽しんでもらうことが目的です。そしてそうなることができたら本当に幸せです。

最後まで読んでいただき、心よりありがとうございます。この物語があなたとの架け橋になることを願っています。

*****地球が一つの家族になる*****

優大とわたしたちの 10 年間の物語