先日の専修大学の学生さんとの授業では、前半にわたしの少し波乱万丈な(自分で言うのもおかしいのですが、笑)人生についてもお話しさせてもらいました。質疑応答の際にわたしが幼い頃から感受性が鋭かったために生き辛さを抱えていたという話に対して、学生さんから「ご自分もHSPの傾向があったためか、学校での生活が大変だった、人からどう思われるか?を気にしてしまう自分にどう対処すればいいか?」というご質問をいただきました。
つまりその方は、人がどう思っているかを感じやすいために、それが気になって自分の自由な行動が阻害されるということなので、確かに生き辛くなるのは痛いほどわかります。ですが、その自分の特徴を責める気持ちさえなければ実は実際の生活は随分と楽になるはずです。それを短所と捉えずに特色やいい所と捉えてみて欲しいとお答えしました。
人の気持ちがわかるといういい所と、人の気持ちがわかって傷つくことも多かったという体験、これを糧にしているからこそのいまのご自分がある、温和で優しげな学生さんの様子を見ながらそう思いました。

このいまではHSP という説明もできるようになった、感覚や感性の過敏さについてわたしの人生を少しシェアしたいと思います。
わたし自身、感受性が生まれつきとても強く、人の表立った喜怒哀楽はもちろんのこと、言葉にはしない内心や本心、その場の全体の雰囲気、大気のエネルギーの様子(例えば地震が起きそうとか、見えないものを感じたりとか)とにかくすべての物事に反応してしまいます。
しかも、期待に応えたい、相手を安心させたい笑ってもらいたい、引いては地球を平和にしたい、と言う欲求が強かったこともあり(我ながらすごい修行人生、笑)正直に言うと、小さい頃から生きているだけでとても大変に感じ、もう消えたい終わらせたいと言う気持ちが湧いてくるのも普通のことでした。。

長男の優大を妊娠して我が子の死に直面してからは、ますますそれが酷くなり、事件や事故や災害の様子が書かれているため新聞が読めなくなり、ドラマや映画もなかなか観れなくなってしまったのです。ひとの苦しみや悲しみに触れるだけで絶望的な気持ちになってしまう自分をどうしていいのかわかりませんでした。

いま思うと、日常的に自分が相当疲れていて傷ついてもいたから、生きるのがとても大変だったのですが、わたしはそんな自分を許せず、ただ、みんなと同じように気にせずできない自分、求められていることを完璧にこなせない自分、常にそんな出来損ないの自分を責めることしかできませんでした。顔では笑っていてもとうに限界を超えた身体は常に体調が悪く、生き辛さの負のスパイラルが続いていたのです。

実はその感覚自体はいまも続いているため、戦争や災害のニュースに必要以上に共感しないようにとても気を付けています。そして、いまでも薄らと無価値感が湧いてくることがあって、自分が疲れていないはず、まだやれるはず、と言う思い込みはなかなか抜けないものです。

このように、わたしの感受性や共感性は変わらずとても強いのですが、、昔に比べて格段に元気で生きやすくなったのは、自分自身の特性を変えようとするのではなく、そういう自分を丸ごと受け入れて許すことをこの15年くらいをかけて行ってきたからだと思います。
あきらめずに生きてきたことだけでも自分は頑張ったなぁと認めて、自分を労わり自分の幸せを叶える練習を始めたのが、最初に優大が生死の境を彷徨った15年くらい前のことです。優大がわたしに、いつ終わるともわからない与えられたいのちを精一杯輝かせて、悔いなく生きたいと切実に思わせてくれました。

練習と書きましたが、本当に地道に繰り返し自分のパターンを認識して手放していくことが必要でした。自分の幸せは自分で叶えていかなかれば誰も代わりにそれをできる人はいない、そう心底思ったので本気で取り組んできました。
感覚過敏なのはいいことだと思い直すことから始めました。そのおかげでできることもある、と。そして誰かのために自分を無理やり頑張らせることをやめて、できなくても自分を責めないこと、そのままの自分、自然とわき起こる感情や気持ちも含めて許そうとすることを何度も何度も自分に言い聞かせて、自分に寄り添い愛を贈りました。
いまでもたまに難しいのですが、苦笑、この心持ちはもう忘れることはなく、もしダウンしそうなときは一旦やり過ごすことや、その後にゆっくり回復すること、モヤモヤしていてもなんとかしようとしないで見守ることができるようになりました。(すごい進歩!笑)

わたしにとって人生の前半は完全なる修行でした、笑。もうすぐ50代も見えてきたいま、人生は楽しいものだよ、そのままのあなたが一番素敵だよ、何があっても必ず糧になる大丈夫だよ、とお伝えしているのはこのような人生経験を通して得た実感からの紛れもない本心だからです。
いまこうして毎日が幸せで感謝に溢れているのは、これまでの人生のすべての経験のおかげだし、偽りのない心の声に素直に生きるほど人生はスムーズに動いていく実感もいまとても感じています。

さて、あまり一般的とは言えないわたしの人生が何かの参考になるのかもわからないけれど、、兎にも角にも、もしいま何かの生き辛さを抱えて苦しくても、不安でも、あなたが生きていることがとても大切で、大丈夫だから、ということだけはお伝えしたいと思います。

無条件の愛を込めて。