生き辛い歴48年、生き辛さサバイバー(って何?笑)のわたしが最強だと思う回復術があります。
それは、心や身体の元気がないとき調子が悪いときには、、明日になったら少し大丈夫になっている、1ヶ月したらもっと大丈夫になっている、って一旦考えます。そして実際に大丈夫になった瞬間を見逃さずに気付くようにしています。気付いたら、指差し確認的な感じで、あ、いまはそんなに辛くない、痛くない、ですよね?わたし、と確認します。ご飯も食べれたし、お昼寝もできたな、などと大丈夫な時間に意識を向けてそれを確認していって、無理はしないけれど心に安心感を増やしてあげます。すると回復する方に向かって心も身体も少しずつ動き出すように思います。
どんなときにも、意識を向ける方は自分で選ぶことができます。でも暗い中にいるときには、どこに向かえばいいかなかなかわからないし、視点を変えてみようという元気もないときだってあります。わたしも何度かそういう絶望の淵に立ったことがあります。死にたいと思ってしまうようなそんなときには、できることは取り乱して泣きわめいたり、地の底まで落ちて寝たきりになったり、ただそれを味わうことだけなので、回復のことは考える必要なないです。
でもそんな絶望ももし生きているならば、一生は続くことはありません。正確には、続けられません。確かにサバイブを経験してきましたので自信を持って言えます、笑。
生きているということは変化するということ。細胞も止まることなく壊れては再生し、2ヶ月もすればほとんど入れ替わっていると言います。同じ苦しみしかない、と思うならば、それはやっぱり意識を向ける方を自分で選んでいるからだと思うのです。
そこに深く気付かされてからは、生き辛さは変わらなくても、絶望することはなくなりました。自分がどんな風にこの世界を見ているか、色をつけて見ているか、を少し離れて観察することが大きな助けになります。なかなか楽になれないとか、うまくいかない理由は、自分が決めて思い込んでいることに自分が縛られて振り回されているのだなぁと気付くからです。
実はいまもしんどさが続いているのですが、時々訪れる緩みに気付いて意識を向けながら、日常の中の「大丈夫」や「幸せの瞬間」を指差し確認しながらボチボチ歩いています。
みんなみんな、笑って、自分を好きでいてくれたらいいな、生まれてきてよかった、って思って欲しいな、という願いはわたしもそこに含まれていて、そのための活動をすることでわたしも安心をもらっています。
揺れても、立ち止まっても大丈夫。落ちたり上がったりもするもんだし。自分の歩幅で自分の丁度良い速度で歩いていきましょうね。
愛を込めて。