先日、父が78歳で他界しました。危篤の連絡を受けて長崎の病院に駆けつけ、一晩を病室で過ごしました。小さく浅い呼吸をしながら眠っている父の手を握り、これまで言いたくても言えなかった思いを伝えました。
父は幼い頃からとても優秀で努力家だったそうで、仕事でも一家の長としてもしっかりした人でした。反面、というか外のストレスもあったのでしょうが、家では自己中心的で家族に対してとても厳しく、いつも怒っている父に対して怯えたり泣いたり、反抗する家族もいて、平穏、安心とは程遠い家庭でした。
感受性が鋭かったわたしは家庭内の不和がきっかけで3歳頃から不眠症、安心して眠り甘えられる子ども時代を経験したことはほとんどありませんでした。父をたくさん恨んだし、早く家を出て自分の家庭を持ちたいと願った子ども時代でした。
進学のために18歳で上京し、大学卒業後に結婚して、優大を授かった23歳のときから、念願だった母としての人生を歩み始めました。
自ら子育てをしながら、幼い頃には得られなかった安心して愛を交換し合うような時間を取り戻しているような部分もありました。
父の両親は社会的に地位のある人たちで厳しかったそうです。わたしたち家族に過剰に厳しかったのは、父自身もそのままで愛されている実感や安心感がなかったのではないかなと、子育てをしながら感じるようになっていきました。
自分の家庭で幸せな日々を経験し自分がそのままの自分でいてもいいんだと思えた後、父に「ただ笑って欲しかった、家族みんなが幸せな気持ちで過ごして欲しかった」ようやくそう言えました。40歳くらいのときでした。それでも心の距離が縮まることはなかなか難しかったのですが。。
「お父さん、そのままの自分のことを認めて愛してあげて」「笑って楽しんで生きて」本当は生きているうちに言いたかったけれど、叶わなかったので、、病室で血圧が落ちていく父に「もう安心して良いよ。愛されてるから。おじいちゃんとおばあちゃんが待ってるからね。」そう伝えました。父は頷くように大きく息をしてそのまま旅立って行きました。
これはわたしから見た物語です。父の一生を理解することはとてもできないけれど、生きることが大変だったわたしの50年ほどの人生の中で、優大を看取り、父を看取ったいま、まだ少しの空虚感と共に、いままでよりもっと肩の力が抜けたような感じもあります。
ひとが育つ環境には色々な試練もあるけれど、どのひとの元にも愛はいつも平等にあって、受け取り感じることができれば、わたしたちはいつからでも安心して生きることができます。
そして何より、受け取る以前に、愛はもともと自分自身の中にあり、いつでもなくなることはないのです。
いのちが愛そのものだから。
愛されるために奪い合うことも努力する必要もなくて、わたしたちに必要なのはいつでも「安心」なのだろうなぁと感じています。
「安心してそのままの自分を受け入れ、愛を注ぎ、いのちを味わって生きていこう。」
そんな言葉が心に浮かびます。
最後まで読んでくださりありがとうございます。愛を込めて♡