言葉が綴れないなぁと思っていたら、突然、激しく綴ってしまった前回の記事、笑。
考えてしまうと綴れない。そういうことだったみたいで。だから思ったことを短く綴るインスタだけは楽しく書けてたのかな。
あれで何かの蓋が外れたみたいで、毎日のように記事を書いては下書きにしまっています。UPはしないという、笑。
今日も、今まであまり詳しく書いてこなかったことを少し書いてみようと思います。
私は、チャネリングとか、自動書記とか言われる、降りてきた言葉を思考を通さずそのまま綴る、ということをします。
それは今思えば、幼い頃から頭の中でやっていたことだったんだけど、いつも、すごいことわかっちゃった、という感覚で、自分がすごいと思っていました、笑。
それが、8年前、死期の迫った長男の優大と不思議な頭の中の会話をしたことで、あれ、もしかして耳で聞こえない言葉も受け取ることができるの?と気付いたのでした。
映画になった、ニール・ドナルド・ウォルシュさんの「神との対話」を観たのですが、まさにあんな感じです。
話し声で聴こえてくるのを書き留めるのですが、速すぎて字にならず読み返そうとしてもほとんど読めないし、内容も翌日には忘れているんですが、エッセンスはしっかりと受け取って行きます。
自分の探求していた真実への疑問が次々に解明されて、自分の意識がバージョンアップして行くような感覚でした。
それから、聴こえる分だけ全部受け取っていたら、頭の中がうるさくなりすぎで疲れてしまったので、専門家の人に相談に行きました。
自分の聞きたいことだけ、聞きたい時に聞けばいいんだよ、と言ってもらい、あぁそうか、とホッとしたのでした。
チャネリングというだけあって、いつでもチャンネルを変えればいいだけのことでした。
私の場合は、ほとんど何かの特定の神様とかガイドとかにチャンネルを合わせることはありません。
ハイヤーセルフとも言われる、宇宙にいる大きな意識の自分自身と無線で話しているような感じ、、ってわかってもらえないかもしれない、、笑。もうどう思われてもいいや、苦笑。
とにかく、わりと普通の会話というか、とても自然なものなのです。
多分多くの赤ちゃん小さいお子さんが普通にしていることだと思います。
おかしなこと、不思議なこと、すごいことを言い出す子供さんって多いと思うのですが、それは浮かんできた言葉を話す時に、まだ常識や一般的な思考を挟んでないからだと思います。
自分なりのチャネリング方法がわかってからは、知りたいことを聴いて自動書記して納得したことなんかをまとめて、ブログや詩やメルマガの記事にアップして行きました。
優大からのメッセージ「生きて」の内容も自動書記で原稿を書いたものです。
この自動書記の時の状態を簡単に言うと、思考のスイッチが切れて、聴こえる言葉と手が直結している感じです。
瞑想中やヨガをしている時の、ただ静かに浮かんでいるような、上から見ているような感覚で、手だけを動かして言葉を綴っていきます。
多分、スポーツ選手なんかがゾーンに入るという瞬間や、多くのアーティストの人が、意識、無意識に、創作中には同じような状態になっているのではないかなぁと思っています。
考えて何かをするのではなくて、考える前に何かをしている状態。
インスピレーションとか直感とか第六感とか、いろんな言い方があるのかな。
そして、私の場合は、書く時以外にセッションをさせてもらっている時にも、この状態になっていることも多いです。
ただ、ピースフルな心持ちの時にしかできないというか、心がかき乱されているような時には言葉を聞こうと思えないので、体調が悪くなってからは、自動書記をすることもぐっと減っていきました。
今年になり、穏やかな気持ちで自分に向き合える時間が増えてきて、短い言葉を綴ることがまた楽しくなってきました。
最近は、速く書く手をコントロールしながら、読めるように綴る練習をしたりなんかもしています。
海外では昔から、日本でも近年は、多くのチャネラーの方々が本を出版していますが、私も本を出してみたいなぁと思ったり。
子育て中のママさんや、思春期の子供たちや、普通に生活を送っている多くの方々に、特別にスピリチュアルなものではなくて、生きるヒントや癒しの種になるようなものが書きたいなぁと。
愛のメッセージを伝える、というのが多分私の仕事なので。
今まで、こんな自分の核となることも堂々と書けずに、なんとなくぼやかしてきたのは、自分が少しでも「社会の中の普通」の人間でありたかったから。
でも今は、私は「自分の普通」を生きようと思っています。
得意なことと、苦手なことがあっていい、ダメなとこもいいとこも、全部私にしか生きられないから。
あなたに、いっぱいの愛を込めて。ありがとう。
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