今日で5月も最後ですね。夏まであっという間な予感。日々大切に、と思います。
昨日娘を寝かしつけている時に、娘をぎゅっと抱きしめて「かわいい〜〜♡」といつものように言うと、ちょっと照れ臭そうに「ママ毎日そうやってハグするけど、大きくなったら恥ずかしいからできなくなるんでしょ?」と。
女の子の精神の発達は本当に目覚ましくて、5歳でももうそんなことを感じ始めている。それが大人になるってことなのかな。
「そんなことないよ。ママはみーちゃんがよければずっとハグするよ。愛が溢れてきた時には大人でもママはみんなハグするんだよ。」と伝えました。
他方、中学生になり試験期間中の息子とは、勉強についての話になることがしばしば。
当然やりたくないと言う息子に対して、私が言うのは、勉強も試験も自分の成長のために利用していくものだから、苦しくなる必要なんて全然ないということ。
勉強は「必要なことを理解して使いこなす」ための練習でありきっかけに過ぎない。深刻にならずにまずやってみる、それってすごくいい練習になるから、と。
結局やらせたいことには変わりないのですが、笑。
私は幼稚園から一貫の進学校で、家庭も教育熱心で、勉強はやって当たり前、できて当たり前みたいな環境で育ちました。
そして期待に背かず、大嫌いな勉強を時には泣きながら、体も壊しながらもなんとかやって、志望大学を単願で合格しました。
それでもずっと劣等感があったのは、当たり前のことが当たり前にできない自分を愛せなかったからなのだろうと思います。
本当は当たり前も、普通も一人に一つずつあることに気づくのはもう少し後。
受験戦争の真ん中を通りながら、猛烈なモヤモヤと学校への嫌悪、大人への不信感、そんなロックな気持ちで生きてきた私としては、笑、子どもに話したいことが沢山あります。
普通ってなに?当たり前ってなに?誰のための人生か?命はどう使うものなのか?
それでも私は、自分が苦しんできたから、子どもたちに、これが世間の正しいやり方だ、これが普通だから、とは言いません。
その代わり、私はこう感じている、こう考える、こうして欲しいと思っている、と伝えます。
子どもも完成された人間であることに変わりはないから、こちらの意見は伝えながらも、お互いに尊重すること、協力することを前提に一緒に暮らしています。
社会に出て行くときの練習は、それだけで十分だと思うから。
それでもついつい口から出てくる、いろんな親のグダグダは、自分を守るために思いついたことと、単なる愚痴、笑。だから、自分でもそれは言いながら気づいて流していく、笑。
子どもと話していると、毎日気づきの連続です。
固定観念に気づかされ、見栄や体裁に気づかされ、それから、自分がどう生きたいかに気づかされ、日々、本来の自分への許しと癒しが起こる。
感謝、感謝なのです。
明日から6月です。プライベートセッションを再開します。とってもお久しぶりなのでドキドキワクワクしながら、お待ちしています。
ご予約受付していますので、詳しくはこちらをご覧ください。セッションのページ。セッションについて書いた記事。
では、今日という日、二度とない5月の一日を楽しみましょう♪
愛を込めて。
ほんと、普通って何?はチビ介のお陰でますます思うようになったよ
この世の中ひとりひとり違う特性があるのに、何を思って普通じゃないのかと
まあ、チビ介はそのひとりでもありますが^_^;来年の中学校の事を考えると、自閉症ながらグレーなので、ほんと日々どこかで悩んでる自分がいます。
まあ、2社選択なんですがねー
今から思っても先の事が見えないので悩んでも仕方ないんですね!まずは見学しチビ介の感じるままに動きたいですが、これまた不安^^;でも楽しみでもあるのでしょうね^_^
はるみさんそうなんですね〜。うん、うん、悩むよねぇ。でも、その時に選ぶことが最善です。大丈夫!チビスケくんの
未来はいつも輝いています。