私の世界はわたしが創っている。
ならば、わたし以外には誰にも操作することができない。
同時に「私」にも操作することができない。
世界を創造している方の「わたし」には完璧な計画があり、「私」はただその世界を体験している。
ダメだと価値がないと嘆く時にも、最高に幸せだと歓喜する時にも、私は体験係としてただここにいる。
わたしは願いを聞き入れたり、罰を与えたり、ご褒美をくれたりもしない。
ただわかるようになる。それが叶うとか、何が必要だとか、それで何を得たのかとか、そういうことがクリアになる。
私は何も引き寄せてはいない。
ただ私の話す言葉が変わり、私に見える世界が変わり始めると、引き寄せが働いているように感じるのだ。
すべて順調に計画通りに人生は進んでいる。
何をなすかとか、どれほど他より優れているかとか、微塵も関係なく私も私の世界も完璧だ。
私は無力なのだろうか?
私は何のために生まれて来たのだろうか?
だから私はそう問いたくなる。
潜在的に知っているから。
わたしの壮大な遊びとも言えるその計画と、ここにいる私のことを。
何もやらなければいけないことはない。
やること以外はやれないし、起こることがすべてだ。
死ぬほどの苦痛や、気が狂いそうな恐怖が起こる時にも人生は完璧だ。
生まれて来た私たちはもうそれで完璧だ。
マイナスに向かいようのないこの命のシステムは、その命が消える時が最も豊かな状態なのだ。
この瞬間に、すべてがある。
私は何一つコントロールしていない。私は無力だ。
そして同時に私は完璧だ。私たちはみな完璧なのだ。