言葉を綴る時、今の私が必要としていること、書きたい言葉しか書けません。
言葉がカタチになっていかない時も時々あります。
そんな時は、大抵頭の中がうるさくて、もっと奥の心の声が聞こえて来ていません。
無意識のうちに、その声を聞きたくなくて、蓋をしていることもあります。
それをやっていると、私の場合、身体でサインが現れます。
昨日、自律神経の発作が出て突然低血圧になりまた倒れたんです。。苦笑。バンコクに来て何度目だろうか。。
それで、ここのところ言葉が書けない日々が続いていたのを思い出して、日常生活でも心の声を聞けないことが重なっていたかもと。
なんてわかりやすく、しかも相当の強いメッセージを伴って現れることか。。お手柔らかにお願いしたいところです、汗。
心の奥にある大切な本質的存在を、魂さんと呼ぶことにします。魂さんを運転手、いのちを乗り物に例えると、、
私の場合はバージョンアップが頻繁に設定された車みたいで、運転している魂さんの要望で機能がどんどん追加されたり変更されることになるのですが、車体自体のメンテに集中しないとたちまち不具合発生です。
命に関わりかねない事故につながる恐れあり、と取り扱い説明書に書かれてそう、苦笑。
でもこれはただのたとえ話ではなくて、きっと、この不具合が不調や病気につながっているのだと感じます。
魂の声を聞かないという無意識の抵抗は、バージョンアップして生まれ変わることへの恐れがあったり、新しい一歩の勇気が出ない時。
アクセル踏むタイミングでエンストみたいな感じかな、笑。
何より事故るのは、ブレーキを踏んでるのに暴走する時かもしれません。
え、だって、後ろの車に迷惑だし、先が詰まってそうだけどこっちの道が楽そうだから、迂回したくないし、とか、苦笑。
でも、車を運転しているのは「私」ではなく「魂さん」ですから、乗り物が言うことを聞かないと事故になるのも当然です。
ただ、普通の車と違って、いのちの車は魂さんによる自動運転だし、ガソリンとなる愛も自動補給だし、言うことを聞いてれば、私が乗り物になる時に魂さんと交わした約束通り私の行きたいところにスムーズに連れて行ってくれるわけです。
車と運転手、魂目線で言えば、乗り物を選んだのは魂である私だし、車目線で言うと、今のこの私は魂さんに乗ってもらうためにある。
いわばどっちも私であり、どっちが欠けてもこの地球ではどこにも行くことができません。
そして、行き先は人と同じではありません、通りたい道も見たい景色も一人一人違います、他の車とずっと並走なんてしようもんならたちまち事故です、笑。
それに私の車はダンプカーにもスポーツカーにもなれそうにない、笑。
バージョンアップはするけど、他の車にはなれない。
見たい景色があるから、行きたいところがあるから、会いたい人がいるから、そこで様々に感じて体験したいから、私たちは生まれて来たのですよね。
しかもこのたった一つ、誰とも同じでない、このいのちで。
魂といのちとの共同作業のこの人生、一番大切にするのが何かをそろそろしっかりと確認する、そんな時期なのかもしれません。
車でのたとえ、よく分かる~私の今は、ノロノロ運転しながら少し立ち止まって、またノロノロ運転かなぁ~一瞬だけ安全速度になるのですが、やはりノロノロの繰り返し
なんだか、そんな自分をどう制御していいのかって感じです(^^ゞ
そうなんですね〜。はるみさんの今の調子がそれならば、ゆっくり走りたい時なんでしょうね〜。私は、とてもいいと思いますよ。エンストしたって大丈夫です、必ず見えてくる景色や新しい出会いがありますから。私なんて走ってもいなくて今工場で整備中な感じですから、笑。お互いにいちばん落ち着くペースでで行きましょう♪