ゆっくりと観察していると、私の気持ちは1日の中でもクルクルと変わる。
例えばある日、
穏やかな朝、気だるい午後、イライラの夕方、豊かな夜更け、、そんな風に。
新しい場所に移り、毎日空を見ていたら、
心はまるで、快晴の空にやがて雲が現れ、光がかげり、またお日様が顔を出して、夕暮れ時に優しい色に輝くのと同じなのだなぁと感じる。
それでも、空は変わりながら、それが空であることはずっと変わらない。
空はずっと空で、わたしもずっとわたしなのだ。
いつも同じ穏やかなハッピーな空であるべきだ!
そんなことを言うのが、ただ自分の都合だってことは誰でもわかるけど、
いつも穏やかなハッピーなわたしでいるべきだ!
と真面目に思ってしまうことは多い。
わたしをコントロールしようとしているのはいつも私で
それがどれほどわたしに窮屈で不自由な思いをさせているかに気付くのは難しい。
変わることが生きているということだ。
あるようにある。
それ以下でも以上でもない。
それでも、私は願う。
こうでなければならない、ああであって欲しい、と。
それもまた生きているということ。
でも、自分をそのままに自由に羽ばたかせてあげたい、と思うなら
誰が自分をコントロールしているかは、知る必要がある。
それは、環境でも他人でもなく、自分自身。
誰かの目が気になるのも自分、誰かを傷つける人になりたくないのも自分。
優しくありたい。穏やかでありたい。明るくありたい。強くありたい。
だから「わたしよ、本当の気持ちは隠しておきなさい、何が起こっても大丈夫でいなさい、嫌なことも何となくやり過ごしておきなさい、傷ついたことも我慢して飲み込みなさい。」と自分に命令しコントロールする。
泣きたいのに大丈夫な顔をして、怒っているのに理解しているように振る舞い、疲れているのに働かせて、やりたくないことに理由をつけやらせる。
これをずっと自分にやってきたかと気づいたときに、本当に本当に心から、わたしに「ごめんなさい」を言わずにいられなかった。
そりゃあ苦しかったでしょう、疲れたでしょう、体もおかしくなるのが当たり前だね。。
そして、もちろん、どの時の私も、他の誰も悪くない。
私にとってのこの数年は、それに心底気づくための時間だった。
自分をそれまでのように、我慢させ無理させてコントロールすることができなくなったのは、そう言うことだったんだね。
そしてこの1年はリハビリだった。
子供の頃から、そうやって自分自身に命令されることで、傷ついて力をなくした自分を癒すための。
暗い部屋で一人眠れない夜にも、声をあげて寂しい怖いと泣けなかった幼い私の人生は、こうしてちゃんと行き着くところに行き着いた。
自分の中心で、何かが大きく変わっていく音を聞いているような、そんな時間。
どんな日々が始まって、どんな風に自分が変わり続けて行くのだろう。
変わっていくこと、あらゆる自分があるがままにあることに祝福を。
満月の夜。2018年が後もう少しで終わろうとしている夜。
ありったけの愛で自分を包みたい。
わたしよありがとう。