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内観の記録

 

なかなか言葉にならない日々。でもぼちぼ〜ち生きています、笑。

今日は自分のための内観の記録です。

 

内側の色々な気持ちと向き合い、体調の波と向き合い、自分に優しくすること、寄り添い続けることがこんなにも難しいなんて、びっくりしてしまいます。

人に優しくする方がずっとずっと楽で、人を愛する方がずっとずっと実感があり、自分は透明であったらどんなにか楽なのに、、といつもの逃避癖が出てくるのでした、苦笑。

 

でも、もうそれを私の心と体は許してくれません。

自分の中の不調和、自分のありのままを生きないことを許してはくれないみたい。

そこからもう逃げないでと、メッセージを送ってくれています。

一回死んだつもりで生き直す、そんな気さえするのです。

 

怒り、恐怖、悲しみ、この感情をそのまま表すことができなかった子供時代。

親を傷つけたり心配させることをしてはいけない。

だから、我慢。2歳でも我慢。わがまま(本音)を言って泣くとかしたことがない。

次第にネガティブなことを感じてしまう自分自身を責めるようになります。

するとネガティブな気持ちは表現できないので、感じると辛くなる、だからだんだん感じること自体を鈍らせるんです。

怒りを感じないようにそのセンサーを鈍らせる。

このメカニズムってもしかして多くの精神疾患や自律神経失調症の方に多いのではないかな。。

 

それでも私は憎しみではなく愛で生きたかった。だからいつも自分の心の器を必死で広げて全部包み込んでしまおうとしてきました。

でも今思えば、私の器の大きさは最初から同じだったんです。

広げることなんてできないと知らなかった。

仮想の自分、つまり理想の自分を作りたかったけど、私にもすべての感情を表現することは当然必要だったわけです。

目に見えない器から溢れてしまった感情は、代わりに身体の不調になって溢れ現れてくれていたのですね。

 

後になって、あの時辛かった苦しかったと喚いても、ちっとも辛さは癒えませんでした。

誰かを責めても、安心することはないから、楽になんてならないんですよね。

そしていつしか私は自分を癒すことを諦めて生きていたのかもしれません。

愛に生きたいともがきながら、それはそのままであることだと知った後でさえ、ありのままに生きることをまっすぐ選ぶことができていませんでした。

 

愛はありのままをそっくりそのまま認め許しているということ。

苦しんだ末に、人生の全てから教えてもらったことです。

何より、いてくれるだけで愛そのものであった優大が、そのいのちのすべてを以て教え続けてくれました。

だから、もう逃げないで、と優大も言っていると感じます。

 

自分のいのちに寄り添い、いのちの本音を生きることは、それ以外の全部を手放すことかもしれません。

まるで運転中のハンドルから手を離すような、大事に抱えた宝箱から手を離すような。。

だから怖いし、逃げたいし、そこまで追求する必要ないと思うし、早く楽になりたい。

でももう私はその道を、、いえ、最初からその道を歩いている。

誰もがそうであるように、自分しか歩けないこの道を歩いている。。。

そしてきっと、手放すのは、何かをなくすことじゃなくて、握った手のひらを開いたら、そこには何もないってことを知ることなんだと思います。

握りしめようとしているものではなくて、握っている手、このいのちそのものより大切なものはないのだと。

 

しんどいなぁと思いながら生きる今も、愛はいつもここにあり、私はどんな時も愛でしかない。

波間に訪れる平安に宿る最高の愛おしさも感じる毎日です。

いつもありがとう。愛しています。

 

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