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これはこれ、わたしはわたし

こんなはずじゃない、こんなのおかしい

こうあるべきだ、普通はこうでしょ

そう思って不快になることってある。

 

でもどんな時も

これはこれ、わたしはわたし、起こっていることがすべて。

 

頭の中であれこれ考えて

すでに起こっている「何か」をコントロールしようとする。

でもできようがない。

だからそこにはエネルギーの歪みとか詰まりが起きてくる。

 

そして、問題意識や不足感、不満から出発したアクションからは安心に辿りつかない。

さらに正すべきこと、恐怖を増やすだけ。

 

もし何かアクションするとしたら

たとえば、何かを改善したいときには、問題に目を向けるのをやめて、まずは目の前のいまを完全受容することはとても大事。

 

それから少しずつ動いてみる。

どうしたいか?を自分でカタチにしていく。

自分の手の届く範囲で

自分の心に正直に

自分の大切な人と一緒に

心地よく楽しくアクションを起こす。

 

何にフォーカスし、何を考えるかで、自分の世界はすべてつくられる。

たとえばTVを見て不安になって色々考えるよりも、一杯の美味しいお茶をいれて、空でも眺めながら味わう方が、ずっと平和でいられる。

そこから世界を見たら少し安心が増えているかもしれない。

 

日々の暮らし、仕事、子育て、その大切な時間の中で

自分がどんな目線で見て、どんな情報を取り入れ、どんな心持ちでそれをするかを選んでいくことができる。

グダグダでも不機嫌でも不安でも、それを問題と見て批判しなければ、これはこれ、わたしはわたし。

 

そしてわたしは感謝とリラックスがたくさんたくさんある毎日を選ぶ。

わたしたちの世界はどんどん優しい場所になっていく。

 

 

 

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癒すから癒えているへ

癒される〜と、わたしも言うし、癒された〜と言われることもある。

癒える、とは、治るということ。

皮膚にできた傷が治って元の状態になるように、心身が元の状態に戻る、元の自分に戻る。

それだけで、とても気分がよくなる。

なぜならわたしたちは、もともと生きているだけで完全な存在なんだもの。

 

どうしてそれを忘れてしまうのだろう?

一生懸命、自分に何かをくっつけようとしたり・・

自分以外の何かになろうと必死になったり・・

そうやって疲れてささくれだった心を何かで癒してもらい、自分に戻っては、また探し始める。

これはまるでゲームだ。目隠しをして自分を探すゲーム。

 

ほんの少し過去、ほんの少し未来にフォーカスして、癒しと探究のゲームをしてきたわたしたちは、新しいドアを開ける。

自分を知ることに命をかけてるのがわたしたちだと気づいたら、次のステージに進むときが訪れる。

わたしはすでに癒されている、わたしを見つけた、つまりわたしはいつでもわたしだ、という感覚とともに。

 

ゲームの続きはやはりゲームなんだろうけど、「いま」を生きるというステージは未知の世界だ。

よりピュアな存在が先生になりヒントをくれるだろう。

それは自然であり、動物であり、子どもたちだろう。

 

原始に帰るように見える営みが、実は進化であることに気づくだろう。

テクノロジーより星の動きを、現代医学よりも自然治癒の力を、教育よりも無垢からの学びを、忘れていたものを思い出していく。

いまここに満ち足りることを思い出していく。

 

既存の枠組みはすでになくなり始めている。

いまにフォーカスする、澄んだ心でことをなす、味わい感じる。

それがわたしたち人間の新たなステージ。

 

 

 

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人生を味わう

人生を味わう、っていうことをいまとても楽しんでいる。

 

口に入れて噛みしめて、その先の吸収と排泄まで、五感を総動員して味わうことをする。

しっかりと見て、香りを吸い込み、食感を楽しみ、響く音を聞いて・・

より深く、よりリアルに、心身にたくさんの生の情報を与える。

それが味わうってことなのかもしれない。

 

赤ちゃんがなんでも口に入れてそれが何者かを知るように、わたしたちは味わうことで人生を知っていく。

マインドフルネスとか、いまここを生きる、という言葉は少し堅苦しい、でも味わうと言い換えれば、本能的に理解するかもしれない。

 

澄んだ空の青さを味わう。

秋の日差しの暖かさを味わう。

我が子の真剣な表情を味わう。

自分の心に満ち満ちてくる幸せを味わう。

 

そうしていると、味わっていることが、人生の意味そのものだと感じる。

なぜなら心からの充足感は、起こることの大小や、成したことの失敗や成功に関わらないということを、波乱万丈な人生を通して教えてもらったから。

 

同時に、過去や未来に対する様々な考えが、いましている体験と感じる心との間に挟まっていると、よく味わうこと自体ができなくなることに気づかされる。

意識のフィルター、心にかけている色眼鏡、延々と沸き続ける思考、そんなものが邪魔をして味わうことができない。

 

すると感動も充足感も薄らいでしまう。何かが足りないという焦燥感が湧いてくる。

本当はいまこの瞬間に「すべてがある」というのに。

 

ただ自分の中がシンプルになりさえすれば、いつでも鮮やかで瑞々しく感動に満ちた体験ができるんだなぁと思い知る毎日。

たとえそれが、空を見る、というそんな些細なことでさえも。

味わうことの幸せをまた味わい、笑、心がどんどん満たされていく。

 

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メンターとして

ここ数ヶ月で、事業家の方ともトークセッションをすることが増えた。

わたしはクライアントさんのお仕事の内容や経営の仕方については専門的な知識は持ち合わせていない。

それでも、クライアントさんの心に丁寧に俯瞰しながら向き合うことで、ご本人の視界が明るくなってくる、そしてお仕事の悩みについても理解と整理がすすむのだなぁと感じている。

いやむしろ、お仕事と心とが切り離されていれば、当然なぜか上手くいかないこと、なんかも出てくるのだろう。

セッションでは、その方の心の本音を探り吐露してもらい感情の詰まりを流すことをしている。

すると実際の生活だけでなく仕事で起こっている不安も解けていく。

 

人生には必ず波があり、リズムがあり、動く時期、休む時期、悩むとき、上手くいかない時、どんどん進めるときがある。

絶対に成功し続けるとか、金輪際失敗しないとか、そんな法則は存在しない、笑。

死ぬまでは総括できないのが人生だ。

 

大切なのは、何が起きても、自分が自分の心とつながって、よく理解し、一番の応援団であること。そして自分を好きでいること。

なぜなら、自分の人生を体験させてくれている自分自身を大切にできなければ、ずっと人からどう見られるか?という物差しの中で自分を消費させてしまうことになるから。

みんなみんな、そんなことするために生まれてきていない。

そんなもったいないことってない、笑。

わたしたちは一人に一つ掛け替えのない、つまり他に代わりのない、いのちを生きているのだから。

 

わたしの仕事は、クライアントさんがご自分の心とつながり、大切なことを確認するための時間をつくることなのだと思っている。

誰かが考えたノウハウじゃない、与えられた物差しじゃない、自分の心という最大のパートナーと二人三脚で歩むことを、心から応援したいと思っている。

人生の節目節目に、または定期的に、お話しさせていただくことで人生全体をサポートしていくメンターとして関わらせていただければ、こんなに幸せなことはない。

 

あ、なんか熱く語ってしまったけれど、メンターとしてお仕事しております、笑。

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書いて自分と会話する

言葉を綴るのが好きだ。

わたしにとって文章を書くことは、頭の中を表現することでもあるし、同時に自分との会話でもある。

 

なんとなく人恋しいような気分の時には、大抵、自分自身との会話が減っているんだなと気づいてから、そういう時は言葉を綴る。

そうして無心に書くうちにすっかり満たされている。

 

言葉にする時間、自分に心を向け、心の声に耳を傾けて、今の自分のことをよく理解する。

人同士の会話のようなことが自分の中で起こる。

今もそうやって自分と会話しながら言葉を綴っている。

 

文章を書くことはきっとライフワーク。

それはわたしにとってなくてはならないものだから。

 

そしてわたしの心から溢れていく言葉たちが、誰かの心にもつながっていくことの喜びを、もっと感じたいな、と最近思う。

開いていく感覚が強まっているんだろうな。

 

昔、出版を考えて動いているときに、編集者の方に、書くことで自分が枯渇して擦り切れてしまう人も多いと聞かされたことがあった。

それって心とつながることをせずに、書くことがありき、売れることがありきだとそうなるのかもしれない。

そしてどんな仕事にも当てはまることだなぁと思う。

 

まぁでも、わたしはまた違うタイプなような気がする、とその時に思ったのは、純粋に書くことが好きで、自分の力になると感じているから。

今日も未来も気が向いたら言葉を綴る。

それがお仕事になっていくと嬉しいな。