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未来からの手招き

2020年、地球は大きな転換期を迎えているという話、きっとどこかで聞いたことがあるかもしれない。

実際に、〜史上初、人生初、のような出来事が次々と起こっているもんね。

 

新しい地球はどんな風になるかって想像したことある?

私の見ているビジョンは、この星の人々がみんなそれぞれにカラフルな光を放ちながらがキラキラと輝いて生きている天国みたいな場所になるってこと。。

 

未来から情報がやってくるのを具体的にキャッチしている人たちも結構いると思うけど、本当はみんな知らぬ間にキャッチしているんだよ。

私も最初は、未来から?って思ったけれど、未来と言っても時空を超えた彼方からという感じではなくて、もうすでに起こっている別の「いま」からの情報だから、フワフワしたものではなくて。

 

うん、どうだろ、この話はブログで書けるものなのか。。笑。ま、いっか、笑。

 

思ったことがすぐに実現したりすることあるけれど、そういう時には、次の「いま」が決まってたんだなって思ったりする。

決まっている未来に向かって、あーでもないこーでもないと、体験を楽しんでるわたしたち。

 

そう言うと、まるで選択肢を持たないみたいで悲しくなるけれど、

実際には選択すること自体を奪われることもなければ、全部の行き先がわかってしまうことも起こらないから、結局、迷ったり感動したり、泣いて笑って、喜怒哀楽に満ちた愛すべき人生は続くわけです。

 

だから重要なことは、もし、あなたが今よりもこの人生を楽しみたいと思った時に、そのことを思い出すといいよねってこと。

責任?因果応報?罪悪感?使命?そんな少し重い荷物を減らしても、いや、減らしたら、わたしたちはとっても楽になる。

私がこうしたからこうなったとか、誰かのせいで私はこうだとか、こう生きなければ幸せが来ないとか、とにかくそういう強固な固定観念だったものを手放してみたら、この世界はとってもフラットで優しい場所だって気づくかもしれないよ。

 

もちろん重い荷物を持ったままでも楽しい人生だし、持つ必要がある時間帯もあったりするから、人生はすべて順調に運んでいるってことには変わりはない。

 

いま私がこんなことを言いたくなっているのも、未来からの手招きなんだよね。

 

読んでくれて、ありがとう。

LOVE♡

 

 

 

 

 

 

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リラックスと安心とワクワク

新しいMacBookがやってきた。

新しい、というキーワードがしっくりくる今日この頃。

冒険の始まりはこんな気分かもしれない。

 

ドキドキ、ワクワクするよりも、落ち着いて安心している方がよかった今までの私。

正確にはこの20年間の私。

そうか、人生の半分くらいの間、私はずっと安心と守られることだけを願ってきた気がする。

 

高校生の時に友達と二人でアメリカのオレゴンにホームステイした。

そこで見る地平線はどこまでもどこまでも続いていて、初めてそんなに大きな空を眺めていると、心がぐんと伸びやかになりワクワクした。

ハワイやカリフォルニアやカンボジアやタイ、学生時代に行った国々からはいつもドキドキと刺激をもらった。

 

人生は旅のようなものだ。

実際の旅も、人生の旅路に似て、冒険と変化と発見に満ちている。

だから旅が大好きだった。

 

我が子の命の危機に直面した私は、一転して、どこにも行きたくない、飛行機に乗りたくない、家の中にいて、誰からも何からも脅かされない所で、守られていたい、と願うようになった。

本当に強烈な体験だった。

それから10年経ち、優大はしっかりいのちを全うして旅立った。

祝福すべき旅立ちを心からの感謝で見送った。

でも心の奥底では、我が子のいのちを守ることなんてできなかった私は、もうこれ以上何も奪われまいと、警戒を続けてたんだろうなぁと思う。

緊張の限界を迎えた私は、倒れた。駐在先で子どもたちを守ろうと悪戦苦闘してほっとした瞬間にバタッと。

 

それから、リラックスだけが私の仕事だっていうくらい、笑、いかに心地よくご自愛し安心して過ごすかを模索する日々がやってきた。

行動でごまかさず、ひたすら正直な気持ちと向き合い、方法を探してリラックスを求めた。

けれど、リラックスは求めても得られなかった。

 

緊張を解く様々な工夫も、結局、緊張をベースにしているから、同じ所でジタバタしているに過ぎなかった。

波がきて波間に揺れて、もうどうにもコントロールできないことを、身体の隅々まで理解し受け入れる、それが唯一の、リラックスだった。

そのままで、そのままで。

ただそのままのわたしでいること。

 

倒れてからの引きこもりの生活と、さらにこの3ヶ月にも渡る自粛生活は、ただシンプルな安心が何かを思い出させてくれた。

大切な人が元気でいてくれて、たわいもない、けれど平和に満ちた会話を交わし毎日を無事に過ごす。

限られた娯楽しかなくても、清浄な空気を吸い込んで、空や海を眺めて、深呼吸するだけで、心が満ち足りる。

 

リラックスは特別な何かではなくて、本当にどうでもいいような隙間の瞬間に絶えず沸いている。

それを何かの用事や目的や思考のあれこれで、かき消しているのは自分自身だ。

そこに気づくには、心の空白とスローに流れる時間が必要だったんだね。

お笑い見て大笑いしてる時の完全なるリラックスみたいにね、笑。

 

あれから20年を経て、わたしのもとにワクワクとドキドキを迎え入れる余白が生まれた。

安心の反対かと思えたワクワクドキドキは、リラックスして安心して初めて感じられるものだったなんてね。

でも以前のように、旅をしたり、遠くのものを見たりするよりも、いまここにある、とんでもないダイナミズムを感じたいと思っている。

鳥の目で見た、宇宙と地球とわたしとが重なる壮大ないのち全体のこと。

虫の目で見た、いのちの営みの愛おしさ。

触れたい、語りたい、繋がりたい。

 

読んでくれてありがとう♡

 

 

 

 

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自分の内側に戻る

今の生活の中で自分が囚われていると思っていることがあるとすれば

たいていの場合、自分の内側でその縛りは起きている。

自分が強固にしてしまった内側の固定概念をどうにか緩めることができれば、現実にそれが反映される。

 

もしくは、外側の枠組みをガンッと叩き壊すという方法もあるけれど、笑、やっぱり、内側に向き合うことなくして、そこから完全に抜けるのは難しいのかもしれない。

違う場面、違う場所、違う時間に、また同じような囚われの身になってしまう可能性が高い。

 

人は行動することで、何かを実現したりするけれど、何かをごまかしたりもするものだ。

本当の心のうちにある大切な声に気付かないように、聞こえないように、それより大きな音を立て、動き回ることで向き合うことから逃げる。

 

だから、もし必要な時には、立ち止まり、思考を停止させ、空を見上げるようにただ心を見つめることはとても意味のあることだと思う。

その静寂の空間から無垢な純粋な自分が顔を出してくれたら、それはとても幸いなこと。

 

どんなに黒い気持ちでも、苦しい想いでも、トラウマや傷でも、宝物のように大切に見てあげて、撫でで、包んであげよう。

自分の大切な一部でもあるその感情たちに感謝して居場所を与え、でも私はもうこれに囚われなくても生きていけると、自分に教えてあげよう。

 

私たちはみんな、心に本当に柔らかい、赤ちゃんのほっぺみたいな愛のかたまりを持っている。

誰にも触れられない、繊細で、そこからいのちが生まれ出ているような美しい泉のようなスペースを。

感じなくするのは、そのスペースを守りたいからかもしれないね。

傷つけられるくらいなら、蓋をしておいたほうが怖くないから。

 

何かにぶち当たり、前に進めなくなる時は、自分の中の大切な場所に戻ることを促してもらっているのかもしれない。

だから、囚われていることも、そこから出ようとすることも、ギフト。

 

もっともっと、自分で生きていい。

私もあなたも大丈夫だ。

そのままで。

 

私たちは、そんな大切なことを知るための道を歩いている。

 

 

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愛で満たされている

 

 

 

あまりにも美しいお月さま。写真を撮ったらちょうど目が光っている大きな龍雲も。

 

空を見ていると自分の中にきれいな水が流れていくように浄化されていく。

思考のモヤモヤが消えて、心がすっと落ち着く。

 

風にそよぐ木々たちの輝く緑を見ていると、母なる大地の暖かさが身にしみて、励まされているようなそんな気持ちになる。

心細さが消えて、力が湧いてくる。

 

地球の生命の輝きにシンクロするとき、わたしたちも喜びで満たされている。

 

大変なことが起こった時に、もたらされている恩恵。

 

どこにも行けなくなったから、こんなにも自然の声に耳をすませ、輝きに心を寄せ、全身で感じることができた。

 

家族でいることの安心を取り戻した。

 

奪われたようで、与えられていることに気づく。

 

人生っていつもそうなんだね。

 

無くしたはずのところに、新しいものが訪れている。

それが、怒りとか恐怖の時もあるけれど、発見とか優しさとかだったりもする。

結局、わたしたちは何も無くすことなんてできないのだろう。

 

水が蒸発して大気になりまた雨になって戻るように。

雨が虹を運んでくるように。

形を変え所を変え、すべては循環し、いつもこの世界は満たされている。

 

わたしは、それを愛と呼ぶ。

みんなは、なんて呼ぶんだろう。