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生きたい!

 

 

本日のsunset。空はいつも優しいね。

ここのところ、意識の変化がとても目まぐるしく起きている。

力が抜ける、心が緩む、フラットな心持ちへと変化が進む。

ただあるがまま、気づきが浮かんでは過ぎていくのを見ていると、「やらないといけないことなんて何もない。」その思いが深まってくる。

 

 

私たちはみんな思っているでしょ。

成長したい、自分を磨きたい、上達したい、上の立場に立ちたい、社長になりたい、いい親になりたい、子供を立派に育てたい、お金持ちになりたい、美しくなりたい、、とかとかね。

 

で、それを叶えた時に、どんな風に思う?

突き詰めていくと、多分ほとんどの人が「〜〜して、安心したい」だと思う。

 

でも、安心できるまで続ける様々な努力ややらなきゃいけないことは、決して終わらない。

なぜなら、その「自分以外の何かになろうとする」という欲求自体に最終ゴールがないから、ゴールテープを切ったと同時にまた走り出してしまう。

 

社長になったら、収益をあげないと、規模を広げないと、誰もが満足できるサービスを、、と次々に目標や課題は出てくるものだし

いい親になることや、魅力的な人になることにも終わりはないわけで。

大きな石を積み上げて積み上げて、必死で壊れない頑丈な城を作ってそこに住んだとしても、今度はそこを死守する戦いの始まりにすぎなかったり。

 

人生はそれが終わるまですべて過程に過ぎないのだ。

命の始まりは死へのカウントダウン。いつだってすべてはそこに同時に繋がりを持って存在している。

私たちは過程しか生きることができないんだよね。

 

で、いつ安心できるかというと、自分以外になろうとするのやーめたって思った時、笑。

どんな結果になっても自分を認めてあげよう、とすっかり開き直ってしまった時。

 

でもね、努力して今より成長すればそう思えるってわけじゃなくて、

失敗したからこそわかることもあるし、死にかけたからわかることもあるし、大きなものを失ったからわかることもある。

むしろ、そうなって初めてわかることがとても大きいのが人間だと思う。

 

大切なのはいつだって「心」だけ。安心、心が満たされていること。

やらなければいけないことを続けていると、いつか心がすり減って疲れてしまうのが当たり前。

この最終ゴールのないレースからいつ脱落する?怪我して倒れて強制終了になってから?

 

何者にもならなくても、私たちは完璧だ。

だから困難なレースでヘトヘトになる前に走るのをやめたっていい。

それをしていける時代がきているんだと感じる。

もう安心してもいいんだよ〜〜〜♡

そんな声が聞こえる。

 

もうすべて完璧だなと思って心から安心したら、何したい?

 

私は。。思う存分楽しみたいな。この地球を身体中で感じたい。命の隅々まで感動で震えるように生きたい!

そう思って生まれて来たんだなって感じる。

生きたい!ってなんて素敵な気持ちなんだろう。

この数年をかけての生まれ直しみたいな時間がそろそろ終わりそう。

 

今日も愛を込めて。

 

メッセージ

私たちは完璧だ

私の世界はわたしが創っている。

ならば、わたし以外には誰にも操作することができない。

同時に「私」にも操作することができない。

世界を創造している方の「わたし」には完璧な計画があり、「私」はただその世界を体験している。

ダメだと価値がないと嘆く時にも、最高に幸せだと歓喜する時にも、私は体験係としてただここにいる。

 

わたしは願いを聞き入れたり、罰を与えたり、ご褒美をくれたりもしない。

ただわかるようになる。それが叶うとか、何が必要だとか、それで何を得たのかとか、そういうことがクリアになる。

私は何も引き寄せてはいない。

ただ私の話す言葉が変わり、私に見える世界が変わり始めると、引き寄せが働いているように感じるのだ。

 

すべて順調に計画通りに人生は進んでいる。

何をなすかとか、どれほど他より優れているかとか、微塵も関係なく私も私の世界も完璧だ。

 

私は無力なのだろうか?

私は何のために生まれて来たのだろうか?

だから私はそう問いたくなる。

潜在的に知っているから。

わたしの壮大な遊びとも言えるその計画と、ここにいる私のことを。

 

何もやらなければいけないことはない。

やること以外はやれないし、起こることがすべてだ。

死ぬほどの苦痛や、気が狂いそうな恐怖が起こる時にも人生は完璧だ。

生まれて来た私たちはもうそれで完璧だ。

マイナスに向かいようのないこの命のシステムは、その命が消える時が最も豊かな状態なのだ。

この瞬間に、すべてがある。

 

私は何一つコントロールしていない。私は無力だ。

そして同時に私は完璧だ。私たちはみな完璧なのだ。

 

 

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出会いという宝物

 

 

バンコクで最初に住んだアパートの上の階に日本人のファミリーが住んでいました。

入居早々に凄まじいスコールで1階の我が家が浸水した日、子供たちを二階に避難させるべく、藁をもすがる思いで2階のそのファミリーに声を掛けさせてもらいました。

トイレも使えなくなっていたので、避難させてもらえてすごく助かったのに、水の引かない我が家におにぎりを差し入れに来てくれたりとっても親切にしていただいて、その日から仲良くさせてもらうようになりました。

それからしばらくして、お茶を飲みながらゆっくりお話しする機会があった時に、奥様が「中島家のこと実は前から知っていたんだよ!」と言ってくれたのです。

聞いてみると、日本で取材してもらった記事を読んでくれていて、私たちのこれまでの暮らしやこれからバンコクに来ることを知ってくれていたとか。

それからは、太陽のように眩しく美しい奥様である彼女とは色々なことを語り合ったり、慣れない生活を沢山手助けしてもらったり、優しい気持ちをいつももらって、、「あぁ神様は全部用意してくれているんだなぁ」と感じる出会いでした。

 

あれから紆余曲折。。さらに自宅を引っ越すこと3回目の今のお家でもそんなミラクルが起こったのです。

お隣さんはもうすぐお引越しされてしまうのだけど、ご挨拶に来てくださって突然「もしかして、お子さんにハンディがあられて、亡くなっていらっしゃいます?その経験を通じてお仕事をされていましたよね?旦那様は海外で離れて暮らされて、でもお仕事やめられたんですよね?」と。。笑。

バンコクでのあの日のことが蘇って、一人で笑ってしまった私でした。

その奥様もバンコクの友人と同じく、瞳がキラキラと輝く美しい女性で、すぐに色々と仲良くお話しさせてもらって、とても嬉しい出会いとなりました。

 

実はその他にも、たった1、2回程の取材記事を読んで下さっていた方と出会ったりする機会が何度もあります。

全く有名人でない私にそういう経験が待っていることを考えると不思議ですが、人生にはこういう宝物の箱が沢山用意されているのだなと今は感じます。

偶然なんて一つもなくて、出会える人はきっとすべてが必然で。

最近は、出会えて言葉を交わせたら、もうすぐに友達のような気がしてしまいます、笑。

出会ってくれてありがとう。ここで生きていてくれてありがとう。そんな気持ちであったかくなるのです。

 

生きていると本当に色々なことがあるけれど、、それでも一人の時なんてないのですよね。

いつでも私たちはそれぞれの場所で共に生きている。

出会えた大切な人たちの顔が浮かびます。そしてこれから出会える人たちにも思いを馳せます。

 

ブログで出会ってくれているあなたにも。

心より愛を込めて。

 

 

メッセージ

私は願います

 

今ここに、一瞬一瞬に生きていることに、気づいていられますように。

痛いとか、気持ち悪いとか、気持ちいいとか、美味しいとか、感じたままにその感覚に寄り添ってそこにいられますように。

そんな様々な感覚に理由をつけては、苦しいなとか、幸せだなとか、孤独だな、とか感じている私を、ただそのままに、うんうん、と肯定していられますように。

こうなろうとか、ああならなくちゃとか、思う私もまたそのままに許しておける優しい空間を持っていられますように。

それでもどうにも生きることに疲れた時には、、私が過去や未来や頭の中のすべての想像ではなく、今ここにしか生きていないことを、またそっと囁いて、安心をもたらすことができますように。

この世界にともにあるすべての存在が、いつでも私と繋がっていることを思い出せますように。

私はすべてであり、すべては私であることを思い出した時に、溢れてくる愛をせき止めることなく現わし続けられますように。

新月の日に願うこと。

愛を込めて。