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子どもも大人も輝く世界

 

今週は息子の卒業式がありました。

小学校の卒業式はタイのインターナショナルスクールの卒業式と合わせると2回目。

もう中学生になった気分でいた私たちでしたが、元の小学校に少し戻れることになり、こうして日本でもとても素敵な卒業式を迎えることができました。

卒業生も在校生も気持ちの揃った掛け声に、美しいハーモニーの合唱、そして息子のスピーチ。

「尊敬する人は父です!」で始まったスピーチ。夫に動画で見せたら泣いてました、笑。

息子の母校は環境や人に恵まれ本当にいい学校で、ここに通えてよかったなぁと感謝でいっぱいになった一日でした。

そして、特にこの2年間ほどの経験も、私と子供たちにとって、とても大きいものだったなぁと思います。

子供たちにとっては、外国で暮らすこと、英語で学ぶこと、これだけでもとても豊かな経験だったでしょう。

私にとっては何よりも「出会い」が宝物となった時間でした。

親子で、もちろん苦労も沢山あったし、後悔もして、いろんな気持ちに揺れましたが、しなくていい経験、なんてないとつくづく思います。

 

 

母になって18年、3人3様の子どもたちを見てきて思うことは、彼らが本当にありのままに、いきいきと輝いて生きているなぁ、ということ。

何かを必死に努力したり頑張ってきた経験はまだ全くない我が子たち、笑、もっぱら自由に生きています。

いつでも自分の気持ちに正直に泣いて笑って、困ったり悩んだりもしながら、それでもいつもちゃんと自分の一番心地いいところにすぐに戻っていく。

これって一番大切な生きる力なんじゃないかなって思います。

 

我慢した分だけ、自分を違う形の枠に押し込めた分だけ、手足を思いっきり伸ばして、そのままで居られる心地いいところに戻ることが難しくなる。

戻り方を忘れてしまうのですよね。

今生きていることが嬉しい、いつでも今のこのありのままの自分が一番!という感覚を忘れなければ、幸せを探しに行かなくてすみます。

 

これからは、探す道で様々に学びを得る時代はもう変わって、多くの人が自分の本当の幸せの姿を探す必要がなくなっていくのだと思います。

新しい時代の子どもたちが教えてくれるのです。大人が子供を教育するなんてとてもできないこと。

同じ時代に出会えたわたしたちはみんな、お互いに教え合い、輝きを見せ合う存在だと思うのです。

この人生を楽しむことに命を使える、大人になっても自分の命を輝かせて生きることができることを、思い出させてくれるのが子どもたち。

そして、命を慈しみ愛し、心の願い、夢を、楽しみながら力強く現実に叶えていくことを見せるのが大人だったら、なんて素敵な世界になるだろう!

色とりどりの命がいてくれるから素晴らしいと実感できる世界。

 

これからも我が家の子どもたちはどんな風に輝いていくのかな。

それをそばで見せてもらうことの幸せを、深く深く噛み締めている春です。

 

この春あなたに訪れる始まりに、心から「おめでとうございます。」

愛を込めて。

 

 

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天国で生きていく?

 

今、地球全体で時代の変化や、新しい世界創造のパワーが高まっていると、いろいろなところで目にします。

昨日、暮れていく夕空に釘付けになりました。そして私もそんなことを深く感じていました。

一人の人生をとってみても、新しいことが始まる前には必ずきっかけとなる大きな出来事があったり、変化の前の揺らぎは大きいものです。

 

私が去年から感じているキーワードは「統合」です。

陰と陽、女性性と男性性、天と地、善と悪、などなど、今までは正反対と思われていたものでさえ、パズルのピースとピースがピタッとはまるように統合されていくイメージ。

今までの常識や信念、価値観なんかはどんどん変わっていく。

あるべきものがあるべきところにおさまる。けれどそれは小さく整うのではなくて、全体として大きく美しく色とりどりの絵画が完成するように、バズルが拡大していくイメージです。

ピタッとはまるためには、元々の形でいないとダメなので、ありのままへと全てが変化していく。

今まさに出会うべき人、場所、仕事、そんなもの達に出会うために、自分へと戻っていく。元の自分へと還っていく。

 

私たちは、ただありのままに生きたい!そして一人きりで暮らしていくぞ!と思うわけではなくて、笑、きっと、ありのままの自分で〜をしたい!〜としたい!という願いがあると思うのです。

私もやっぱり、人のそばに、いのちのそばにいたい。

いのちってあったかいし、美しいから。

 

でもね、最近感じていることがあって。

自分がどんどん自分へと還っていく、ありのままに、この世界の主人公に戻っていくと、見えている景色がぼやけてくるような恐怖を覚えます。

一つ一つの絆や関係性がふわふわと解けてなくなっていくような。世界で自分一人になってしまうんじゃないかって。

だから私はずっとそこの前で何とかこの先に行かないように、足踏みしているような気もします、苦笑。

きっとその先には天国のような場所があるのかもしれない。

でもまだ身体があるので、生きながら天国に住むのってかなりの勇気がいります。

もう何を言っているのか?と頭を傾げている方もいるかもですが、苦笑、シェアしたくなったので。

 

自分を生きようと思ってから、私たちがどれだけ関係性の中で、自分の形を変えて生きているのかに気付かされてきました。

まるでそうでないと生きていけないかのように。

でも、自分のピースの形を思い出したら、もう形を変えることは難しい。きっとできません。

私がこれから新しく出会っていく人や場所は、見る景色は、どんなものなんだろう。

大事な人とも新しく出会い直していくような感じになるのでしょう。

ドキドキとワクワク、そしてやっぱり少しの怖さを感じながら、大切な今を生きたいと思います。

 

あなたとこの世界に、愛を込めて。

 

 

 

 

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人生の探求から幸せの実感へ

 

人はなぜ生まれてきて、生きて、死ぬのでしょう?

このことがわからないままに、生きていると、自分が本当に幸せなのかもよくわからなくなるような気がします。

私たちは、自分自身、いのち、幸せ、その意味を知りたい!と思う潜在的な欲求を持って生まれてくるからこそ、人生を歩み続けているのかもしれません。

だから、大人になるにつれて、答えを必死で探し求めるて回る、または考えないようにして生きようとする、このどちらかになるように思います。

どちらの歩みも同じ方へ進んでいるのですが。

 

そうしてどちらの人生を生きていても、答えを突きつけられるようなタイミングというのが訪れることがあります。

私の場合はなぜか、小さい頃からそれがいつも頭の中にあり、そして22歳で優大という存在に出会い、「いのち」がどういうものかを教えてもらいました。

この世に生まれでて、大脳がなく、寝たきりで話すこともしない、その生を全うするまでの一瞬一瞬を見せることで、教えてくれたのです。「優大とわたしたちの10年間の物語

 

私は長い間、生きるための意味を求めてきました。そして今は、生きることの意味がなくても、幸せで生きていられるということを知りました。

求めてもがくことや葛藤すること、様々な感情が溢れてくること、生きていると感じられること、その今という瞬間にすべてがあるのです。

そう、なぜ生きるのか?の答えは、この一瞬一瞬にしかない。

息を吸って吐いて、目を開いて見て、聞いて、、

それが紛れもなく生きているということだから、吸う息が、見るものが、聞く音が、人生といえます。

 

私には身体があります。話すことも歩くこともできる。

今、何を見て生きたい?何を聞いて生きたい?

どんな道を歩いて誰に会いたい?

どんな気持ちを伝えたい?

どんな言葉で話したい?

 

それを知り、選び、生きるために、感じる心があり、目や口や五感があり、そして、いのちがあります。

どうしたいか?どう生きたいか?はわたしたちの幸せの原点です。

これがなくなってしまうから、生きることの意味を探さなくてはいけなくなるだけなんです。

社会の役に立っていなかった優大の、その存在そのものが輝いていました。多くの人に勇気や愛を運んで人生を全うして生ききった姿でした。

本来、生きているだけで、100点満点の私たち。

心底幸せであると感じられたなら、もう何も求めるものはないと思うんです。

 

だから、生きることに大義名分はいらないし、自分を誤魔化し、理由を作り、納得させ、本当はどう生きたいのか?もわからないままに死を迎えるのは嫌だと思っています。

優大の分まで生きようとか、大切ないのちだから生きようとか、そういうことでもなくて、

この今ここにあるいのちは、私たち一人一人のための贈り物だと心底感じるから。

世界でたったひとつの、私の人生というギフトを贈るのも受け取るのも自分自身。

自分の好きなように生きていい。私たちはそのために生まれてきたから。

 

今日も、あなたを生きてくれて、ありがとうございます。

愛を込めて。

 

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自分の花を咲かせて生きる

 

自分の心に正直であること。心のままに生きること。

優大に出会う前から、きっと生まれてきてからずっと、私はそういう生き方に憧れてきたのだなぁと最近思います。

 

私は物心ついた時から、人はなぜ生まれてくるの?周りからよく思われるように生きることに本当に意味があるの?とかなり強く思い悩むことが多かったのです。

ある時、兎の眼という小説を読み返していて、「美しい」というのはは、どんな生き方をするかではなくて、人の本当の心にあるのでは?とハッとした時のことはとても鮮明に覚えています。高校1年生の時でした。

私の人生は、ただそこに向かって導かれているのかもしれません。

子供の頃から、嘘にとても敏感で、それは嘘をつこうと思っていなくても、取り繕っている人を見るだけでとても嫌な気持ちになりました。

反対に、自分に素直に生きている人を見ると気分が上がります、笑。

変わっている人でも、わがままな人でも、そのままでそこにあってくれるだけで私はほっとします。

テレビもドキュメンタリーやトーク番組が好きなのは、物語や人物の本当のところに触れることができるから。

いい人、万能な人、角のない人、正しい人、ちゃんとしている人、明るい人、を無理して演じるのは疲れます。

でも、それがいつしか「自分らしさ」のような設定になってしまうので、疲れているのにやめられないからイライラするし、元気がなくなるし、終いには何のために生きているのかわからなくなってしまうのです。

いい人なところも、明るいところもあるし、ネガティブなところも、ダメダメなところもあるのが人間ですから。

 

カウンセリングやシャンティハウスの仕事をしていると、人の本当のところに触れさせてもらうことが多い。

だから、私はこの仕事が好きなのだと思います。

誰の心も、開いているときはいつだってとても美しい。

葛藤や、悲しみや、怒りでさえも、どんな感情も、表現した時にキラキラと光って消えていきます。

どの赤ちゃんも輝いているように、無垢の心、いのち、はそのままで宝物です。

だからなおさら、心からの笑顔、溢れてくるあたたかい涙、心が開いているときの輝きは眩しくて、人の、そして自分のそういう瞬間に触れる時には、私は生きていることに感謝したくなります。

いつでも心の中にいのちの本音の花を開かせていたい。

それは誰に見せるためでもなく、誰かと競う必要もなく、自分のためにだけ咲く花。

ありのままは、自分の花を咲かせて生きているということ。

そしてもしお互いに、「私の花はこういう花です。」と見せあうことができるときは、私たちは一番幸せなのかもしれません。

今の私は、子どもたちとの時間の中に感じています。

あなたはどんな時に感じますか?

 

自然も人も春の前のふわふわとした浮き沈み、あるがままに。

愛を込めて。

 

 

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シャンティハウスという夢

 

春の嵐から一夜明けて、また寒さの戻った湘南です。コートを脱いで身も心も軽く歩く日が待ち遠しいです、笑。

昨日は不動産の内見に出かける用事があったのだけど、週末に埋まってしまったとのことでキャンセルになって、嵐の中を出かけずに済んだのでよかったです。

今、シャンティハウスの仕事用のオフィスを探しています。

2014年のシャンティハウスの立ち上げは、いつかそんなことをやれたら。。という夢を描いて、そのために人が集まれるように設計して建てた自宅で始めることができました。

タイへの駐在をきっかけにその自宅を売却することになり、帰国後の今は賃貸のお家に住んでいます。

シャンティハウスを一生の仕事にしていくことを決めているので、今年は本格的な事業の立ち上げの年にするつもりです。

今の自宅は事務所利用は不可なので、仕事用の部屋を探しているんですが、まだ目ぼしいところが見つかっていません。

帰国後に早速セッションのご依頼もいくつかいただいているので、早く見つけたいなぁと思っているのですが。

 

Shanti House という大きなコミュニティーを創ることが今の夢の一つです。

誰もがそのままでホッとくつろげる。自分のいのちの本音で生きられる。ありのまま、一人一人が違う、色とりどりの美しい輝きを放てるように。

セッションやワークショプに限らず、色々な仲間とつながりながら、いのちの輝くことをやっていきたい。

子育て支援やレスパイトやターミナルケアのこと、生まれてから死ぬまで、そして見えないいのちが続いていくところまで、やってみたいことは沢山あります。

一つ一つの輝いているいのちのそばにいたい、それが私の願いです。

立ち上げから変わらない「かけがえのないあなたと」というHPのテーマにもしている言葉にも、そんな願いが込められています。

 

私にとっては、「場所、空間」がとても大切なのだなぁと、シャンティハウスのある場所を一旦離れてみてよくわかりました。

エネルギーが整う、調律のような役割をしてくれる空間を創りたい。考えているだけでワクワクしてくるんです。

安心したい時、元気が欲しい時、休みたい時、一歩踏み出したい時、思い切り輝きたい時、本来の自分にパワーを戻せるようなそんな場所にしたい。

宇宙から大自然からのパワーをもらいたいから、やはり大きな空や海や山とつながっている場所がいい。世界中から集えるような場所になればいい。

 

こうして書いているだけで、元気になってきました、笑。

夢を語ると、見る方向が定まります。見る方向に進んでいくと道ができます。

「光の差す方へ」優大が亡くなって最初につけたブログのタイトルです。今もその道が続いています。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。

愛を込めて。