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いのちが喜ぶように生きる

 

わたしたちは自分の意識を通してしか、この世界を見ることができません。

自分の意識次第で、同じ今ここも、地獄にも天国にもなるわけです。

そこまで極端でないとしても、同じ条件の生活で、とても幸せな人とそうでない人がいるでしょう。

一人一人違う心と身体で生きる人生には、幸せのための一定の条件なんてないとも言えます。

どんなに申し分ない条件で生きていても、人から見れば乏しい人生を送っているようでも、その人の心の平穏、満足、幸せはそれだけでは左右されないのです。

 

わたしたちが、心穏やかに感謝の気持ちで過ごすことがあるとしたら、それは今にすっかり満足している瞬間です。

沈みゆく夕日にハッと心温まる瞬間、子どもの笑顔にキュンとする瞬間、美味しいお茶でホッとくつろぐ瞬間。

そんな言葉にならないような、いのちが喜ぶ瞬間に、幸せは訪れています。

幸せはなるものではなく、感じるもの、感じる瞬間の中にだけあります。

 

幸せでない時には、いのちは悲しんだり怒ったりしているのかもしれません。

自分の心の声を無視して生きていると、いのちは元気を失ってしまいます。

自分に厳しくしてしまう時、優しくできない時、雑にしか扱えない時、無視してしまっている時、その自分自身がもしあなたの大切な人だと考えると、その人がどんな気持ちかわかるはず。

 

自分に心を開いて対話し、その声を大切に聴く。

自分がされたいことをしてあげ、扱われたいように扱い、自分に優しくする。

私はこの数年の間、一生懸命にこれをしてきましたが、いくらやってもやり過ぎはないのだと日々感じています。

それは他のすべての人間関係と同じなんですよね。

はい、これだけ優しくしたから後は知りません、って、そんな関係続くはずもないので、笑。

 

自分のいのちが喜ぶように生きる。幸せを感じて生きる。

世界中が平和になる一番の方法だと今思っています。

 

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10月14日(土) バンコク・サロンオデュタンさん主催にてトークベントを開催します。

詳細、お申し込みはこちらです。サロンオデュタンfacebook

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いのちの声を聴いて書いていくと、許しと癒しが生まれる
グループワークセッション

自分の生き方、幸せな人生、そんなことが考えてもわからない時、胸の内のモヤモヤをスッキリさせたい時、自分に還る道の途中で迷ったり疲れた時におすすめです。

数枚のワークシートにあらかじめ用意してあるご質問に答えて頂きながら、ご自分の中を見ていきます。

どなたも、思わぬ発見、気づきがあります。書くという最初の小さな一歩ですが、セッションで言葉にした瞬間からご自分の中が変わり始めるのを感じていただけると思います。

場所 バンコク、スクンビットソイ39

定員 各回4名様

お尋ね、ご参加希望の方は、メニューのお問い合わせよりご連絡ください。詳しい場所、申込み詳細を折り返しご連絡いたします。

プライベートセッションをご希望の場合も詳細お問い合わせください。

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いのちは愛のカタチ

 

今日は大切な愛してやまない友達の命日です。(人づてなので多分)

1年前の今頃に友達の旅立ちを聞き、数日は何をしても涙が流れてどうしようもなく悲しくて、今でも時々涙とともに話しかけたりします。

 

私は最愛の我が子を見送り、その優大のお友達の訃報に触れることもとても多い人生です。

人の旅立ちは周りからするといつも突然で、もちろんショックと悲しみと寂しさがわっと湧いてきます。

でも、その死をどう捉えるかはいつでも自分次第です。

我が子が死んだ途端、世界は冷たく意味のない所に感じたけれど、もちろん、世界はいつでも変わらず優しくそこにあってくれました。

 

友達が亡くなった後、私はタイにいて直接会うことも叶わず、本人からの病気の連絡ももらっていなくて、普段はあまり経験しない怒りの気持ちが湧いてきました。

どうして、何も言わずにいっちゃったの?と何度も話しかけました。

もっと話したかったよ、会ってハグしたかったよ、大好きなひまわり見たいな笑顔が見たかったよ。。大好きだよ。。と。

そうやって私は彼女との絆を結び直すことをしていたのかもしれません。

 

思い返してみると、優大の時はもっともっと頑張って生きていたから、1年経って初めて、私は怒ることができたのでした。

どうしていっちゃたの?もっとそばにいたかった!と初めて口に出したのが一周忌が過ぎてからでした。

 

人の死を悼むということ、それは自分と大切な人とのいのちを一つにするようなことかもしれません。

悲しみが癒えてくると、不思議とそばに感じられるようになるからです。

「いない」「できない」ことよりも「いてくれた」「できた」ことに感謝が湧くようになると、身体のない今にもまたその人が戻ってきてくれます。

今もその人との間に愛があること、話しかけることもできること、そう思えると、今までの自分よりも豊かに強くなって生きることもできるのです。

 

毎日、優大のお仏壇の前で静かに手を合わせると、心の奥で、細胞の一つ一つで愛を感じます。

愛はいのちのすべてに限りなく隅々にまで満ちていることをいつも教えられます。

そして、今目の前にいるいのちには触ることもできる。抱きしめることもできる。

私のいのちがあるから、空を見えげて風を感じ、雨の音を聞くことができる。

愛がカタチになったものがいのち、そう感じるのです。

 

手を合わせ、彼女の笑顔を想い、つながっているすべてのいのちの存在に、心から、感謝を伝えます。

生きてくれて、出会ってくれて、ありがとう。

生きていること、生きてきたことのすべてに感謝です。

 

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あなたでいてくれてありがとう

 

今の時代には幸せに生きるための様々なメッセージに触れることができます。

自己啓発やコーチング、心理学、瞑想や禅の教え、スピリチュアル、占星術や数秘術、引き寄せの法則、非二元、心と身体にまつわる様々なセラピー、などなど本当にたくさん。

私も人生の節目で色々なメッセージに学び助けられてきました。

そして、ここ1年くらいは、自分に取り入れてきたメッセージを一つずつ整理する作業をしてきました。

整理と言っても学びの経験自体はもう自分の一部になっているので手放すということにはならないのですが、自分の人生の道しるべを一つのガイドに統合させるという感じです。

最近よくお伝えしている、魂さんの声にすべてゆだねるということでもあります。

 

どんなに真理をついた素晴らしいメッセージも、それが自分の言葉になっていなければ、ただの雑音でしかありません。

自分のいのちの本音を覆いかぶせてしまうものならば、持っていることが害にさえなります。

雑音というと言い方は悪いのですが、自分の心の声以外は全て、BGMという感じでしょうか。

耳に心地よい言葉でも、痛い言葉でも同じ。

なぜなら純粋なありのままの自分を生きることを制限させるのは、いつだって自分以外から取り入れた言葉だからです。

だから、どんな役に立つ、学びのあるメッセージも、自分にとっては単なるツールや、ヒント、モデル、として活用したらいいのだと思います。

 

一人に一つの真実を持っているわたしたち。

自分にとってそれ以上に大切なメッセージはありません。

誰かのようにならなくていい。

誰かのようになんてなれないから。

 

自分を生きる時に、わたしたちは最高に輝くのです。

たとえそれが寝て過ごす1日でも、何の役にも立っていないように思っていても、人を傷つけてしまったように感じる日でも、、

今の私はこれです。この私を生きることを受け入れます。

そう思える瞬間に人は完全に幸せな状態にあるのです。

なぜなら、それが魂の望みだから。

私を生きることだけが生まれてきた目的だから。

今ここ、今いる場所がステージの真ん中、あなたの世界の主役はいつでもあなた。

 

頭の中の雑音を静めて、心の声を聴きます。

聞こえてくるいのちの本音はわたしたちに語りかけています。

あなたがどれほど尊い存在か、愛されているかを。

「あなたでいてくれてありがとう。愛しています。」と。

 

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魂さんの自動運転で

九月ももうすぐ終わりですね。

今月は魂さんの声をとにかく尊重する!という月間だったので、笑、いつもよりも沢山、感情も体調も揺れた気がします。

 

大人は頭の声でなんとかコントロールしようとするのがデフォルトです。

以前書いたこの記事を参考に♪「魂さんの乗り物

魂さんの声を無視して、自分に様々に指令を出しながら過ごしています。

我慢とか、恐れとか、ブレーキ系統。

献身とか、自己犠牲の、アクセル系統。

幸せでない、満足していない、生きるのが辛い、などの感情、そして身体の不調。。

は、この体の運転手である魂さんの行きたい方向でないのに、そのブレーキやアクセルを一生懸命踏ん張っているから。

タイヤがすり減る、燃費が悪い、すぐに故障する、などの不具合が出てきて当たり前。

 

「いのちの本音=魂さん」の自動運転に完全に切り替えるために、今私は練習しているんですが、

ハンドルから手を離し、足を踏ん張らないのは、やっぱり怖い。

でもちょっとでも反発しようものなら、即座にエンスト、笑。

なんなら煙が出てくる勢いです。。苦笑。

 

心と身体、意識と魂、これらは本来一つのものです。

自分の身体の隅々に心が宿り、魂の声が自分の意識とぴったり重なり合う。

それは誰しもがそうだけれど、違うのは、どれくらい抵抗しているか?です。

抵抗のエネルギーを出せば出すほど、不具合が生まれ、スムーズに進むことができません。

 

 

私の場合は、重々分かっているけど、怖くてできない、、安心して委ねたらまた傷つくことになる!という抵抗を感じながらここまで来たので、今まだ、これまでの様々な恐怖や傷を癒しているような気がします。

 

ありのままの自分を生きるための許可、許しは人からはもらえません。

 

「自分で自分を癒し愛し認め、許す。」

 

ただそれだけ。

 

いのちも、人生も、そのいのちの本音も一人に一つ、誰とも違うかけがえのないもの。

 

一人一人が心から満ち足りて、自分だけの美しい輝きを放って生きる世界を見たい。

そんな景色を見たいから、そんな景色の一部になりたいから、私は何度エンストしようともまた走りだしてしまう。

 

そしてきっと、自動運転で今見ている景色を心から楽しむことができたら、もうどこに辿り着こうとか、これだけは見ておきたいとか、何にも求める気持ちもなくなるのだろうなぁと思ったりもします。

もう随分そんな境地の今の私ですが、まだまだ旅は続きます。

 

 

 

 

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言葉を放つ

もし今あなたに、辛いことがあるならば、言葉にしてほしい。

もし今あなたに、望むことがあるならば、言葉にしてほしい。

1人でそっと呟くだけでもいいのです。

紙になぐり書きするだけでもいい。

誰かに一言伝えるだけでも。

回りくどい言い訳や理由をつけなくていいから、どう思われるか、何が正しいかなんていいから、ただ素直にあなた自身を言葉にして放ってみる。

あなたが放った言葉は、あなたに許しを運んできます。

あなたが苦しむことを許し、喜ぶことを許し、すべてを表現することを許します。

その悲しみ、喜び、迷い、希望、を言葉にしたその瞬間に、もうここにそれがあることを許されているいるからです。

だから言葉に乗せてあなたを放ってみて欲しいのです。

 

そして、言葉は発した瞬間に消えてなくなります。

まるで呼吸と同じ。掴んでいることはできません。

わたしたちのどんな思いも感情も本当はそういうもの。

感じるためだけに生まれ消える。

心に握りしめている間はそこに重みを持ってある気がするけれど、言葉にして放つともうそこにはないのです。

本当は自分が何を望み、どんな望まないことを引き留めているのかを感じるだけで、自然と心が軽くなります。

そして、気づくと、言葉にして自分を放つことが楽しくなってきます。

言葉はわたしたちを助けるためにあるのです。

とてもシンプルに、すべてを感じる手段として。

 

 

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心の奥にある言葉を書いて、あなたを感じて、許しと癒しが生まれるグループワークセッション。

自分の生き方、幸せな人生、そんなことが考えてもわからない時、胸の内のモヤモヤをスッキリさせたい時、自分に還る道の途中で迷ったり疲れた時におすすめです。

数枚のワークシートにあらかじめ用意してあるご質問に答えて頂きながら、ご自分の中を見ていきます。

どなたも、思わぬ発見、気づきがあります。書くという最初の小さな一歩ですが、セッションで言葉にした瞬間からご自分の中が変わり始めるのを感じていただけると思います。

場所 バンコク、スクンビットソイ39

定員 各回4名様

お尋ね、ご参加希望の方は、メニューのお問い合わせよりご連絡ください。詳しい場所、申込み詳細を折り返しご連絡いたします。

プライベートセッションをご希望の場合も詳細お問い合わせください。